秋葉神社|鈴木新田の勘兵衛が中心となり建立
秋葉神社の概要
秋葉神社は、小平市御幸町にある海岸寺境内の神社です。秋葉神社は、鈴木新田の勘兵衛が中心となり、文化2年(1805)海岸寺境内に建立したといいます。
社号 | 秋葉神社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 小平市御幸町318 |
祭日 | - |
備考 | - |
秋葉神社の由緒
秋葉神社は、鈴木新田の勘兵衛が中心となり、文化2年(1805)海岸寺境内に建立したといいます。
新編武蔵風土記稿による秋葉神社の由緒
(鈴木新田)海岸寺
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秋葉社。上屋九尺四方内に四尺許の宮あり。前に小き鳥居をたつ。(新編武蔵風土記稿より)
「小平市史」による秋葉神社の由緒
秋葉社は海岸寺(御幸町三一八)境内にある小さなお社である。例祭は十一月十六日に行われ、海岸寺住職が般若心経、観音経などを読経し、火災除けのお札が参列者に頒布される。参列者は海岸寺の近隣住民十数名である。
さて、この社の棟札には次のような由緒が書かれている(現住職が平成十二年に筆写し所持したものから転記)。
秋葉山由来書
武蔵国北多摩郡鈴木新田 勘兵衛心願に付 村々世話人を以て 永代万人講を取立て 代参を立て 世話人を以て札を配附し 益々繁なるを以て 文化二丑年十一月十七日 東秋葉山 随雲山海岸寺地内建立し 鈴木新田名主定右工門 組頭友次郎 立会って 秋葉山敷地代として金子壱両を奉納し 永遠に秋葉地と称するに至れり
安政三辰年正月初十一月十七日出来
供養石燈籠壱対、
明治拾九年 再建
同三拾八年 屋根茸替
同四拾四年十一月十六日 落慶敷を行う
瑞雲山海岸寺 橘玄格代
これによると、江戸時代、ここに講が組織されて秋葉山のお札が世話人より配布され、その人気のあまり文化二年(一八〇五)には現在地に秋葉社が建てられたことがわかる。今はもう秋葉講は行われていないが、現在の年配者は秋葉講のことを少し覚えているという。話によれば、御幸町に人名、小金井市に五、六名の講月がいたそうであるが、戦後、自然と解散したという。(「小平市史」より)
秋葉神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 小平市史