鈴木稲荷神社|鈴木新田開発に際し、貫井に鎮座していた稲荷神社を遷祀奉斎
鈴木稲荷神社の概要
鈴木稲荷神社は、小平市鈴木町にある稲荷神社です。鈴木稲荷神社は、鈴木新田開発に際し、貫井に鎮座していた稲荷神社を勧請して享保9年(1724)に創建したといいます。鈴木新田小名下の鎮守だったといい、明治6年村社に列格していました。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 金刀比羅社・天神社・榛名社・須賀社・白狐社・大六天社 |
住所 | 小平市鈴木町1-510 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
鈴木稲荷神社の由緒
鈴木稲荷神社は、鈴木新田開発に際し、貫井に鎮座していた稲荷神社を勧請して享保9年(1724)に創建したといいます。鈴木新田小名下の鎮守だったといい、明治6年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による鈴木稲荷神社の由緒
(鈴木新田)稲荷社
除地、三百坪。小名下にあり。下の方の鎮守なり。上屋二間半に三間、内に四尺四方の宮を置。神体なし。拝殿四間に二間東向、前に鳥居をたつ。社邊に松杉数株あり。例祭九月廿二日。
榛名社。本社に向て右の方にあり。小社。
第六天社。(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による鈴木稲荷神社の由緒
往昔北多摩郡貫井村に鎮座してあったが、鈴木重廣が享保九年九月二十二日現今の境内に遷座し、産土神に勧請斎祀した。明治六年十二月村社に列せられた。(北多摩神社誌より)
境内掲示による鈴木稲荷神社の由緒
鈴木稲荷神社は享保九年(一、七二四年)九月二十二日武州多摩郡貫井村(現小金井市)の村社を勧請し鈴木町・花小金井南町・御幸町の産土神(うぶすな神)とし、稲倉魂命(うかのみたまのみこと)大己貴命(おうみなもちのみこと)がまつられ、境内には金刀比羅社・天神社・榛名社・須賀社・白狐社・大六天社がおまつりしてある。
尚。黒松の大木は「松食い虫」におかされ、伐採致しましたので、改めて「社殿鎮座の記念樹」と言われる榧(かや)の木=推定樹齢三百年=が御神木に指定されました。(境内掲示より)
小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示による鈴木稲荷神社の由緒
ここ鈴木新田は、武州多摩郡貫井村(現小金井市)の名主鈴木利左衛門の発願によって開発された新田である。この新田は、玉川上水南沿いの上鈴木(現上水本町)、野中新田善左衛門組(現花小金井1〜6丁目)と玉川上水にはさまれた下鈴木(現鈴木町1・2丁目、花小金井南町1〜3丁目)、および玉川上水北沿いの堀端鈴木(現御幸町)からなっている。
開発許可は享保9年(1724)5月で、開発地は貫井村願場と呼ばれ、割り渡された面積は2.96平方メートルであった。そこで、開発宰領人である利左衛門は、境内地として約25,000平方メートルを寄進して、本村の貫井村に鎮座していた稲荷神社を新田の鎮守として勧請し、同年9月22日に遷祀奉斎したのである。
本殿外壁の左官彫刻は明治初期のもので、田無村の左官職新倉安左衛門の作である。現在の社殿は、昭和36年(1961)4月から6月にわたって屋根の葺き替えが行われ、昭和40年(1965)にも大改修が行われている。(小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より)
鈴木稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌