当麻山泉蔵院|旧今寺報恩寺塔頭、大沼田新田開発に伴い引寺
泉蔵院の概要
天台宗寺院の泉蔵院は、当麻山と号します。泉蔵院の創建年代等は不詳ながら、青梅市今寺報恩寺の塔頭だったといいます。大沼田新田開発に伴い、延享元年(1744)に泉蔵院を当地へ引寺、大沼田新田を開発した名主弥右衛門の先祖と百姓傳兵衛の先祖とを開基とし、運承法印を勧請して開祖としたといいます。
山号 | 当麻山 |
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院号 | 泉蔵院 |
寺号 | - |
本尊 | - |
住所 | 小平市大沼町2-673 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
泉蔵院の縁起
泉蔵院の創建年代等は不詳ながら、青梅市今寺報恩寺の塔頭だったといいます。大沼田新田開発に伴い、延享元年(1744)に泉蔵院を当地へ引寺、大沼田新田を開発した名主弥右衛門の先祖と百姓傳兵衛の先祖とを開基とし、運承法印を勧請して開祖としたといいます。
新編武蔵風土記稿による泉蔵院の縁起
(大沼田新田)泉蔵院
除地、四反五畝十五歩、村の東の方にあり。當麻山と号す。天台宗にて同郡今寺村報恩寺末。本堂七間半に五間南向。本尊如意輪観音の坐像長一尺五寸許。開山を収慶と云。宝暦十四年示寂、開基は当村の名主弥右衛門が先祖及び百姓傳兵衛が先祖両人なり。此二人氏を当麻と称するゆへ氏を以て山号とす。当寺もと今寺村にありしを、寛保四年ここへ移せしと云。
薬師堂。本堂の西の方にて廊下つづきなり。薬師の像は長一尺七寸許、霊験いちじるしと云。堂は二間に二間半。
弁財天社。本堂に向て左の方にあり。覆屋六尺四方、中に二尺四方の小祠を置。神体は長五寸許。十五童子の小像を安す。社の廻りに池あり。其前に鳥居をたつ。
秋葉社。弁天の南によりてあり。高さ六尺許に土をきづき立て、其上に石の祠を置。東向にて神体なし。
稲荷社。本堂の西の方にあり。覆屋六尺四方、中に三尺に一尺の祠を置。正一位稲荷、今寺稲荷、山王の三神を相殿とす。神体はなし。拝殿三間に二間南向、前に鳥居をたつ。村内の鎮守なり。(新編武蔵風土記稿より)
小平市教育委員会・小平歴史研究会掲示による泉蔵院の縁起
泉蔵院
大沼田新田では、開拓当初から寺院の建立を念願としていたので、元文元年(1737)のはじめての検地のときに代官に願い出て、寺領の予定地として4,000平方メートル余の年貢免除地を認めてもらった。また、当麻弥左衛門と当麻伝兵衛も、自分の所有地から18,300平方メートル余の土地を寺領に寄付して寺院建立に備えた。
しかし、当時は新寺院の建立は容易に幕府の許可が得難いので、多磨郡今寺村(現青梅市今寺)の報恩寺の塔頭であった泉蔵院を譲り受ける交渉をして話がまとまり、新田側と報恩寺の連名で延享元年(1744)2月寺社奉行に引寺を願い出て、同年7月許可を得た。そして、同年12月5日に引寺を済ませ、運承法印を勧請して開祖とし、当麻山泉蔵院が生まれたのである。
現在の本堂は昭和56年(1981)10月鐘楼と同時に完成され、薬師堂は昭和42年(1967)の改修で総欅造りである。多宝塔は昭和58年(1983)1月新築され、青銅大不動尊像は昭和59年5月造立された。(小平市教育委員会・小平歴史研究会掲示より)
泉蔵院の周辺図