真姿の池弁財天|武蔵国分寺の旧境内地
真姿の池弁財天の概要
真姿の池弁財天は、国分寺市西元町にある神社です。真姿の池弁財天の創建年代等は不詳ながら、当地は武蔵国分寺の旧境内地で、古くより祀られていたといいます。
社号 | 真姿の池弁財天 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 国分寺市西元町1-13 |
祭日 | - |
備考 | - |
真姿の池弁財天の由緒
真姿の池弁財天の創建年代等は不詳ながら、当地は武蔵国分寺の旧境内地で、古くより祀られていたといいます。
新編武蔵風土記稿による真姿の池弁財天の由緒
(国分寺村)
記載なし(新編武蔵風土記稿より)
北多摩神社誌による真姿の池弁財天の由緒
記載なし(北多摩神社誌より)
「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」による真姿の池弁財天の由緒
真姿弁財天社は武蔵国分寺の旧境内地にあたり、環境省(庁)の名水百選、都名湧水57選に選定された「お鷹の道・真姿の池湧水群」に隣接して建つ祠で、弁財天を安置します。池にまつわる伝説は国分寺の医王山縁起に嘉祥元(848)年における玉造小町のものが伝承されます。社殿は『新編武蔵風土記稿』にも記載され、弁財天開帳の記録は安政5(1858)年の記録が残り、明治14(1881)年には芝居興行も開帳に併せて行われ(『国分寺史料集Ⅲ』)、社殿内には弘化2(1845)年と安政5年の銘を持つ鰐口が現存します。
社殿は池の中島に築かれ東面します。建物は切妻切妻入、東入の形式です。規模は6尺四方の本屋前に向拝として奥行3尺の吹放を設けます。基壇は周囲に葛石を廻し、土間はコンクリート叩き、自然石切石礎石とします。軸部は木製台上に角柱を建て、正面虹梁(渦紋に若葉、玉)で固め、桁・梁を受け、組物、中備はなく、軒は一軒疎垂木、妻飾は束。縁、高欄はありません。向拝は切石に角柱(几帳面)を建て、身舎内法虹梁下端と向拝水引虹梁(木鼻獅子、渦紋に若葉、玉)をつなぎ虹梁で結び、三斗組、中備(龍の彫刻)とします。床は拭板張、天井は棹縁天井、柱間装置は側面及び背面は横板張、正面は腰付格子戸とします。内部奥に壇を設けこの上に厨子を安置します。材は軸組、組物などケヤキで、組物で弁柄が入ります。
現在の建物は昭和52(1977)年に旧来の建物規模を踏襲し、彫刻を持つ部材を用いて再建したとされ、転用された部材は彫刻絵様から幕末期、19世紀中期頃のものと推察されます。小規模な建物ではありますが、時代の傾向をよく示す彫刻を配しています。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)
真姿の池弁財天の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
- 「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」