貫井神社|湧水の出る当地に弁財天として古くより祀られてきた社
貫井神社の概要
貫井神社は、小金井市貫井南町にある神社です。貫井神社の創建年代は不詳ながら、湧水の出る当地に弁財天として古くより祀られていたのではないかといい、明治維新後貫井神社と改称したといいます。
社号 | 貫井神社 |
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祭神 | 市杵島姫命 |
相殿 | 大貴己命 |
境内社 | 稲荷社、八雲神社、愛宕神社 |
住所 | 小金井市貫井南町3-8-6 |
祭日 | 9月15日 |
備考 | - |
貫井神社の由緒
貫井神社の創建年代は不詳ながら、湧水の出る当地に弁財天として古くより祀られていたのではないかといい、明治維新後貫井神社と改称したといいます。
新編武蔵風土記稿による貫井神社の由緒
(貫井村)弁天社
社地除、八畝十歩、村の北にあり、其地に廣さ二畝許の池あり、其孤嶼に安す、本社二間に一間半、拝殿三間に二間、前に木の鳥居を建、神體木の坐像長三寸許、弘法大師作と云。(新編武蔵風土記稿より)
「北多摩神社誌」による貫井神社の由緒
元は貫井弁財天と称し、武蔵野段丘のふもとの景勝の地に鎮座し、貫井部落の氏神として崇敬せられ、明治維新に貫井神社と改称したもので、縁起由緒等不詳であるが、境内より湧出る清水の神池、老松、老杉その他立木の樹令から推すると、付近各所より考古学の貴重な遺跡、好資料の土器等多数出土するところから相当古い創建と考察される。(「北多摩神社誌」より)
「小金井市史」による貫井神社の由緒
貫井神社
(所在地)貫井南町3-8-4。はじめ弁財天と称したのを明治維新のとき、いまの社名に改称された。貫井発祥の地と伝えられる下弁天に鎮座してあった厳島神社(祭神市杵島姫命)に稲穂神社(祭神大貴己命)を合祀する。鎮座の年月日縁起など明らかでないが、古く創建されたものと推考される。社殿の彫刻など小金井市にはめずらしい建築であり、境内も市内有数の景勝地である。
本社は間口、奥行とも5.46m、拝殿は間口5.46m、奥行3.64m。往昔は真明寺が累世別当職に任じ、祭紀の職を兼ねたが、明治2年(1869) 1月、はじめて司掌をおいた。例祭は9月15日。
『新編武蔵風土記稿』に「弁天社 除地八畝十歩、村の北にあり。その地に広さ二畝ばかりの池あり。その孤嶼に安んず。本社二間に一間半、拝殿三間に二間。前に木の鳥居を建つ。神体木の坐像三寸ばかり。弘法大師の作という」と記載しである。(「小金井市史」より)
貫井神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
- 「小金井市史」