惠日山長昌寺|梶野藤右衛門が開基
長昌寺の概要
曹洞宗寺院の長昌寺は、惠日山と号します。長昌寺は、梶野藤右衛門が開基となり、寶鑑(明和7年1770年寂)を開山に迎えて創建したといいます。
山号 | 惠日山 |
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院号 | - |
寺号 | 長昌寺 |
宗派 | 曹洞宗 |
住所 | 小金井市梶野町2-7-5 |
葬儀・墓地 | 長昌寺三恵園 |
備考 | - |
長昌寺の縁起
長昌寺は、梶野藤右衛門が開基となり、寶鑑(明和7年1770年寂)を開山に迎えて創建したといいます。
「小金井市史」による長昌寺の縁起
長昌寺
(所存地)梶野町2ノ240。曹洞宗永平寺末。茂林寺末。釈迦牟尼如来を本尊とする。開基は梶野藤右衛門定昌で、宝暦ごろ茂林寺の隠居宝鑑が開祖である。
本堂は正面12.7m、側面10.92m、庫裡は正面8.2m、側面14.6m、応永金銅仏を所蔵する。もと上小金井村名主梶家の屋敷内にあった薬師堂が廃滅したため、梶家で保管していたが、後に長昌寺に移されたと言い伝える。寺宝に兆殿司筆と伝えられる仏画がある。
『新編武蔵風土記稿』に「長昌寺、除地2段。村の東の方にあり。恵日山と号す。禅宗曹洞宗派にて上州邑楽郡青柳村茂林寺末。本堂七間半に六間半。本尊釈迦の坐像九寸許、開山を宝鑑という。明和七年(1770)十月三日示寂。開基は梶野藤右衛門という者なり。いまの名主藤五郎の祖父なり。地蔵堂 本堂西南の隅にあり。二間に二間半。東向。白山社 門を入りて左にあり。東向。境内の鎮守」と記されているが地蔵堂、白山社ともに現存しない。(「小金井市史」より)
新編武蔵風土記稿による長昌寺の縁起
(梶野新田)長昌寺
除地、二段、村の東の方にあり。惠日山と号す。禅宗曹洞派にて上州邑楽郡青柳村茂林寺末、本堂七間半に六間南向、本尊釈迦の坐像長九寸許。開山を寶鑑と云。明和七年十月三日示寂、開基は梶野藤右衛門といふ者なり。今の名主藤五郎が祖父なり。
地蔵堂。本堂西南の隅にあり。二間に二間半東向
白山社。門を入て左にあり。東向、境内の鎮守。(新編武蔵風土記稿より)
長昌寺所蔵の文化財
- 薬師如来像(小金井市有形文化財)
長昌寺の周辺図
参考資料
- 「小金井市史」
- 新編武蔵風土記稿