雲龍山西念寺|旧築地本願寺の寺中寺、昭和3年当地へ移転
西念寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の西念寺は、雲龍山と号します。西念寺は、釈宗練法師が開基となり元和7年(1621年)浜町御坊内に創建、明暦の大火により築地本願寺とともに築地へ移転したといいます。大正12年の関東大震災、その後の区画整理に伴い、昭和3年当地へ移転したといいます。
山号 | 雲龍山 |
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院号 | - |
寺号 | 西念寺 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
住所 | 小金井市中町4-11-10 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西念寺の縁起
西念寺は、釈宗練法師が開基となり元和7年(1621年)浜町御坊内に創建、明暦の大火により築地本願寺とともに築地へ移転したといいます。大正12年の関東大震災、その後の区画整理に伴い、昭和3年当地へ移転したといいます。
「小金井市史」による西念寺の縁起
西念寺
(所在地)中町4-11-10。浄土真宗本願寺派。阿弥陀如来を本尊とし、釈宗練法師を開基とする。徳川家康江戸入府ののち、江戸浜町に浄土真宗本願寺別院を創建したとき、その末寺として元和7年(1621)創立されたが、その後、明暦3年(1657)本願寺別院とともに江戸築地に移転した。
大正12年(1923) 9月1日、関東大震災で類焼、震災後東京市街の区画整理により寺域を削減された。よって15世住職勝田宗慰は檀家と協議のうえ、昭和3年(1928) 6月1日現在の地に移転した。寺宝に碧山作の四睡の図がある。(「小金井市史」より)
境内掲示による西念寺の縁起
本寺は、元和三年(1617年)本願寺第十二世法主准如上人が江戸浜町に浜町御坊(別院)を建立せし時、その末寺として元和七年(1621年)開基釈宗練法師が開創す。
明暦三年(1657年)正月十八日有名なる振袖火事で類焼の厄に遇い、別院と共に築地に移転す。
大正十二年(1923年)九月一日関東大震災にて再び堂宇、古記録等悉く烏有に帰す。
その後区画整理の為第十五世宗慰法師が門信徒と協議、昭和三年(1928年)六月一日現今地に移転す。
門信徒の格別の御尽力により、前住職悲願であった本堂は昭和四十年(1965年)に、庫裏は昭和五十二年(1977年)に落成し来法灯現今に至る。(境内掲示より)
西念寺所蔵の文化財
- 山岡鉄舟筆による小金井次郎の墓
- 寛文6年(1666)銘庚申塔
- 本願寺第十九世法主本如上人筆「四睡の図」
- 朝倉重憲氏寄進江戸時代初期の作「来迎仏図」
西念寺の周辺図
参考資料
- 「小金井市史」