八幡山千手院|小金井市南町にある曹洞宗寺院
千手院の概要
曹洞宗寺院の千手院は、八幡山と号します。千手院の創建年代等は不詳ながら、尼僧が庵室を営み、高安寺第七世天室傳理(延宝5年1677年寂)が開山したといいます。
山号 | 八幡山 |
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院号 | 千手院 |
寺号 | - |
本尊 | 千手観音像 |
宗派 | 曹洞宗 |
住所 | 小金井市南町1-13-19 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 光明第二保育園 |
千手院の縁起
千手院の創建年代等は不詳ながら、尼僧が庵室を営み、高安寺第七世天室傳理(延宝5年1677年寂)が開山したといいます。
「小金井市史」による千手院の縁起
千手院
(所在地)貫井南町1-13-19。曹洞宗永平寺派。八幡山と称し、千手観音を本尊とする。創立年代は不明。1人の尼僧が寺を営んだのがはじめであると言い伝えられる。延宝年間に山田玄加という者、寺の基礎を固め、中興の祖と呼ばれている。
『新編武蔵風土記稿』に「千手院 境内除地一段ばかり。村の南方にあり、八幡山と号す。洞門の禅宗、府中高安寺の末。客殿四間半に三間半。本尊千手観音木の坐像、長さー尺二寸。開山は高安寺第世天室伝理七。延宝五年寂す。
八幡宮 客殿に向って左にあり。社六尺四方。神体立身の木像、長さー尺。村内の鎮守なり。免田二段あり。秋葉、榛名の両権現を合せ祀る」と記載してある。
泰嶺和尚は天保年間当寺の住職となり、漢学に秀でていて私塾を開き、近隣の子弟に教授したので、後年弟子たちが協力して、謝恩の建碑をした。近藤勇も教えをうけたと伝えられる。(「小金井市史」より)
新編武蔵風土記稿による千手院の縁起
(貫井村)千手院
境内除地、一段許、村南にあり、八幡山と號す、洞門の禅宗、府中高安寺の末、近頃無住職、客殿四間半に三間半、本尊千手観音木の坐像、長一尺二寸、開山は高安寺第七世天室傳理、延寳五年寂す。
八幡宮
客殿に向て左にあり、社六尺四方、神體立身の木像、長一尺村内の鎮守なり、免田二段あり、秋葉榛名の兩権現を合せ祀る。(新編武蔵風土記稿より)
千手院の周辺図
参考資料
- 「小金井市史」
- 新編武蔵風土記稿