金谷山満福寺|檜原村に創建、当地開発に際して引寺
満福寺の概要
臨済宗建長寺派寺院の満福寺は、金谷山と号します。満福寺は、檜原吉祥寺初世秋波江和尚が隠居寺として、永岳全喜西堂禅師を開山として天正2年(1574)に創建、18世紀中頃に5世無印宗達和尚が当地へ引寺したといいます。
山号 | 金谷山 |
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院号 | - |
寺号 | 満福寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗派 | 臨済宗建長寺派 |
住所 | 国分寺市戸倉4-34-3 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
満福寺の縁起
満福寺は、檜原吉祥寺初世秋波江和尚が隠居寺として、永岳全喜西堂禅師を開山として天正2年(1574)に創建、18世紀中頃に5世無印宗達和尚が当地へ引寺したといいます。
新編武蔵風土記稿による満福寺の縁起
(戸倉新田)満福寺
除地三段、山王社の東に並べり、禅宗臨済派、郡中檜原村吉祥寺末、金谷山と號す、本尊彌陀木の坐像なり、客殿六間に七間南向なり、開山全喜西堂慶長十七年示寂す、此寺はもと郡中檜原村大向と云所にありしを、無印と云へる僧此地に引寺とせしと云、開山全嘉西堂は檜原村の開山にして、此地へ移りし僧は無印なり、よつて無印を中興の開山とす、此僧の寂年をつたへず。(新編武蔵風土記稿より)
「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」による満福寺の縁起
金谷山満福寺は、檜原村吉祥寺の開山秋波江和尚が開基となり、天正2(1574)年に永岳全喜禅師を開山として吉祥寺の隠居寺として檜原村に開創しましたが、五世中興開山無印宗達和尚の代に引寺され、今日に至ります(『建長寺史末寺編』)。引寺の年代については、延享2 (1745)年の「満福寺引寺願下書」、延享 3 (1746)年の引寺説 (「皇国地誌」)、延享4 (1747)年の「棟札写」があるため、 18世紀中期頃と考えるのが妥当でしょう。戸倉新田の来歴については戸倉神社の項目に詳述したように、戸倉村(現あきる野市)出身の郷左衛門によって開かれました。村民の出身地は過半の5人が檜原村(現檜原村)であり、檜原村から満福寺を神社の東に引寺しました。
境内地は戸倉神社の東隣で、本堂と庫裏が南面して配され、本尊は阿弥陀如来とします。(「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」より)
満福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「国分寺市有形文化財調査報告書(神社・寺院)」