母智丘神社|大正8年に宮崎県石峯山上に鎮座する母智丘大神を奉斎
母智丘神社の概要
母智丘神社は、町田市原町田にある神社です。母智丘神社は、大正8年に黒木昇・ハナ両氏が日向国の北諸県郡庄内(宮崎県西都城北方五キロメートル)の石峯山上に鎮座する母智丘大神を感得して自宅内に奉斎したといいます。原町田七福神の弁財天です。
社号 | 母智丘神社 |
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祭神 | 豊受姫大神、大歳大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 町田市原町田5-12-11 |
祭日 | 4月23日 |
備考 | - |
母智丘神社の由緒
母智丘神社は、大正8年に黒木昇・ハナ両氏が日向国の北諸県郡庄内(宮崎県西都城北方五キロメートル)の石峯山上に鎮座する母智丘大神を感得して自宅内に奉斎したといいます。
新編武蔵風土記稿による母智丘神社の由緒
(原町田村)
記載なし(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による母智丘神社の由緒
大正八年三月、日向国北諸郡庄内町地内(宮崎県西都城北方)石峰山山頂に鎮座せる母智丘大神の御神徳を感得せし黒木昇、黒木ハナの両人、御分霊を勧請し自宅に奉斎せしが家屋鳴動し畏懼の念に耐えず、社殿を創建し奉遷座したものである。(東京都神社名鑑より)
「町田市史」による母智丘神社の由緒
母智丘神社(原町田)
大正八年(一九一九)三月、先祖の黒木昇、ハナ両氏によって日向国の北諸県郡庄内(宮崎県西都城北方五キロメートル)の石峯山上に鎮座する豊受姫大神と大歳大神二柱の大神を奉遷して一宇建立したのである。はじめは母智丘教会といい、昭和二一年(一九四六)七月二〇日宗教法人となり教会を廃止して神社と社名を変更したのである。
境内坪数二七三坪。
例祭日は毎年四月二三日である。
町田市原町田五丁目一二番一一号に鎮座している。(「町田市史」より)
母智丘神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 町田市史