成瀬杉山神社|町田市成瀬の神社

猫の足あとによる多摩地区寺社案内

成瀬杉山神社|代官福井清兵衛と地頭井戸忠兵衛勝吉との寄進により創建

成瀬杉山神社の概要

成瀬杉山神社は、町田市成瀬にある神社です。成瀬杉山神社は、代官福井清兵衛と地頭井戸忠兵衛勝吉との寄進により寛文8年(1668)に創建したといいます。

成瀬杉山神社
成瀬杉山神社の概要
社号 杉山神社
祭神 日本武尊、天照大神、五十猛命、熊野大神
相殿 -
境内社 八坂神社
住所 町田市成瀬4-13-16
祭日 9月吉日、八坂祭7月吉日
備考 -



成瀬杉山神社の由緒

成瀬杉山神社は、代官福井清兵衛と地頭井戸忠兵衛勝吉との寄進により寛文8年(1668)に創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による成瀬杉山神社の由緒

(成瀬村)杉山社
除地、二百坪、字上合にあり、村の鎮守なり、勧請の年代を傳へず、社は南向にて上屋あり、神體は唐冠を戴き、笏を持て立る木像なり、長七寸ばかり、按に杉山神社は、都筑郡にいます式内の神にして、祭神は玉大猛命なり、然るに當社の祭神は高座雲尊なりと云いふかし、とにもかくにもこの木像は後に當社勧請の時、後世の衣冠の様を以彫刻せしものなるべし、もと佛道行はざる前は、像を用ふることなければ、古社には木像を以て身體とせざるこ勿論なり、相殿二座左は神明、右は熊野にて、神體は二座ともに白幣なり、社前に鳥居をたつ、例祭は年々九月十九日、同廿日に行ふ、圖師村の修験大蔵院持。
末社稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による成瀬杉山神社の由緒

寛文八年(一六六八)十一月吉祥日、当時の代官福井清兵衛金二百疋、地頭井戸忠兵衛勝吉金三分、酒井助右衛門金一分の寄進により社殿を再建したのである。元禄十二年(一六九九)十一月、享保元年(一七一六)十一月、安永三年(一七七四)九月、寛政二年(一七九〇)十二月、享和二年(一八〇二)九月等六回におよぶ社殿の再建あり、田中の明神として崇敬した。(東京都神社名鑑より)

「町田市史」による成瀬杉山神社の由緒

杉山神社(成瀬)
田中の明神という。寛文八年(一六六八)一一月、当時の代官福井清兵衛が二〇〇疋の寄進と地頭の井戸忠兵衛勝吉が金三分の寄進により社殿を創建したのである。
元禄一二年(一六九九)一一月二一日、享保元年(一七一六)一一月、安永三年(一七七四)九月、寛政二年(一七九〇)一二月、享和二年(一八〇二)九月と五回に及び再建をしたことが社宝の棟札にある。一社相殿造りで主祭神の日本武尊を中央に、右に天照皇大神、左に熊野大神を合わせ奉斎してある。真言密教により黒と丹にて彩色がしてある。
境内末社は安永三年六月一五日の創立で、悪病除の神である八坂神社を奉斎し、七月一四日が例祭日である。
参道正面の両部鳥居は、天保一四年(一八四三)九月二〇日の造立になる。現在の社殿は、昭和三一年(一九五六)四月一五日のものである。
境内坪数二六〇坪余り。町田市成瀬一三四一番地に鎮座している。(「町田市史」より)

境内掲示による成瀬杉山神社の由緒

杉山神社のある地域は武蔵国南部、鶴見川流域の一部に限られていて、全国的なもので無く地方民によって崇敬奉納されたものらしい、昭和五十三年調査(戸倉英太郎書「杉山神社考」)によると鶴見川流域に四十九社存在する。
成瀬杉山神社の創建年代は不詳であるが、棟札によると寛文八年(一六六八)十一月代官福井清兵衛と地頭井戸忠兵衛勝吉により社殿が創建され、その後何度かにわたって修造、再建があり、恩田川沿いの水田地帯の中央に位置し、数多くの樹木に囲まれてあって、「田中の明神」として長い間村人に親しまれ崇敬されてきた。
現在の社殿は昭和五十七年四月二十三日竣工、同年九月二十三日御遷宮祭が執り行われ、平成四年杉山神社の本社とさる、和歌山県伊太祁曾神社から杉苗を譲り受け、ご神木として階段横に植樹された。ご祭神を五十猛命としているが、日本武尊の説もある。(境内掲示より)


成瀬杉山神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 町田市史