久住山宏善寺|日蓮上人が鎌倉から佐渡へ配流された文永8年に起源
宏善寺の概要
日蓮宗寺院の宏善寺は、久住山善立院と号します。宏善寺の創建年代等は不詳ながら、日蓮上人が鎌倉から佐渡へ配流された文永8年(1271)、井出の沢にあった真言宗の小庵を日蓮宗に改め創建したとの伝説が残されているといいます。慶安2年(1649)には幕府より寺領7石の御朱印状を拝領、町田市内では小山田大泉寺・三輪妙福寺と並んで称される大寺だといいます。
山号 | 久住山 |
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院号 | 善立院 |
寺号 | 宏善寺 |
住所 | 町田市本町田3409 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
宏善寺の縁起
宏善寺の創建年代等は不詳ながら、日蓮上人が鎌倉から佐渡へ配流された文永8年(1271)、井出の沢にあった真言宗の小庵を日蓮宗に改め創建したとの伝説が残されているといいます。慶安2年(1649)には幕府より寺領7石の御朱印状を拝領、町田市内では小山田大泉寺・三輪妙福寺と並んで称される大寺だといいます。
新編武蔵風土記稿による宏善寺の縁起
(本町田村)宏善寺
字一色にあり、慶安二年八月二十四日寺領七石の御朱印を賜はる、境内は則その寺領の内なり、日蓮宗にて、甲州身延山久遠寺の末山なり、久住山善立院と號す、開山日海その年代を傳へず、本尊三寶祖師、本堂は七間に六間半南向なり。
鐘楼。本堂に向て右にあり、鐘銘の末に貞享元年十一月と刻す。
番神堂。本堂に向て左にあり、二間四方、番神三十軀ともに小像なり。(新編武蔵風土記稿より)
「町田市史」による宏善寺の縁起
宏善寺(本町田)
所在地 町田市本町田字一色。
宗派 日蓮宗(法華宗)身延山久遠寺末。
山寺号 久住山善立院宏善寺。
開山 日海。文永八年(一二七一)一〇月一八日とあるが、『風土起稿』は「その年代を伝へず」と記している。もと、井手の沢に所在したが暦応元年(一三三八)現在地に移るともいう。日蓮竜ノ口の法難が文永八年九月一二日で、一時相模国愛甲郡依知に配置され、依知よりさらに佐渡に送られたのがその年の一〇月で、そのおり井手の沢の真言小庵に休息して日蓮宗に改宗させた伝説があるところより、文永八年一〇月一八日の開山としたものとも推考できる。
朱印 寺領七石。
本尊 三宝祖師。ただし明治三年一一月の「村明細帳」には「本尊釈迦牟尼仏」とある。
本堂 昭和四二年五月落慶の鉄骨鉄筋コンクリート造り。室町風の入母屋造。
客殿 五〇坪。木造瓦葺。
庫裡 一一六坪。木造二階建瓦葺。
日朝堂 間口三間、奥行四間一二坪。中老僧日朝と七面天女とを合祀し、木造入母屋、建築年代は不明。
鐘楼 大正四年(一九一五)建立。二間四方木造欅造り瓦葺。
梵鐘 前梵鐘、昭和二〇年三月供出し、昭和二八年鋳。銘天野佐一郎。
仁王門 明治一八年(一八八五)再建、入母屋木造瓦葺一〇坪五合、総欅、四方タル木である。金剛力士、江戸中期と伝う。
総門 昭和四七年再建、冠木門。正面入口二間、両袖一間ずつ、奥行二間白木造り瓦葺。
総括 宏善寺は町田市内の古寺で、堂塔の整備している小山田大泉寺・三輪妙福寺と併称される大寺で、戦後畑二八町、田一二町余りを開放し、なお山林をひなた村の青少年社会教育施設として町田市に提供しており、古い時代の二間に三間の土蔵なども残されている。そして、旧鎌倉道沿いにあったため、隣寺養運寺などとともに、しばしば戦火のため焼亡した歴史も秘められている。
什宝 祖師日蓮の二行切、一行切の二幅は真筆である。(「町田市史」より)
宏善寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「町田市史」