能谷山妙行寺|江戸時代中期に小名二ノ倉より当地へ移転
妙行寺の概要
日蓮宗寺院の妙行寺は、能谷山と号します。妙行寺は、久遠寺第8世日億(永徳元年1381年寂)が開山となり、永和元年(1375)に創建、江戸時代中期に僧日通が小名二ノ倉より当地へ移転の上再興したといいます。
山号 | 能谷山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 妙行寺 |
住所 | 町田市能ヶ谷4-20-16 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙行寺の縁起
妙行寺は、久遠寺第8世日億(永徳元年1381年寂)が開山となり、永和元年(1375)に創建、江戸時代中期に僧日通が小名二ノ倉より当地へ移転の上再興したといいます。
新編武蔵風土記稿による妙行寺の縁起
(能ケ谷村)妙行寺
小名下にあり、能谷山と號す、日蓮宗にて甲州身延久遠寺末也、開山は本寺第八世日億なり、永禄元年八月十六日寂す、本堂六間に四間半、本尊三寶を安す。(新編武蔵風土記稿より)
「町田市史」による妙行寺の縁起
妙行寺(能ケ谷町)
所在地 町田市能ケ谷町字下にあるが、もと五町ほど下の二ノ倉とよぶところにあり、一乗坊、覚林坊 盛円坊の三坊から成立していた。しかるに、天文年中(一五三二~一五五四)火災のため全焼、これを僧日通が中興した。しかしこの寺も寛永年間(一六二四~一六四三)再び炎上、以後五〇余年再興ならず。僧日静に至り二ノ倉から現地に移して再建した。
宗派 日蓮宗。山梨県身延山久遠寺末。
山寺号 能ヶ谷山妙行寺。
開山 日億、久遠寺第八世で、永和元年(一三七五)二月一二日開山。永徳元年(一三八一)八月一六日示寂した。
本尊 三宝諸尊。
本堂 昭和四四年一二月改築。間口七間、奥行五間半、鉄筋コンクリート瓦葺入母屋造。向拝三間に二間。
庫裡 昭和四二年改築。四〇坪の木造瓦屋根。
山門 冠木門。九尺に九尺。欅角柱角天井瓦屋根の古風なもの。妙行寺はいまこの山門だけを残して、すべて新しくなった。そして、寺は、三五段の石段上に立ち、岡上・三輪方面の丘陵と相対している。
寺宝 日蓮真筆経文の一行切十二字のものと、現地に移して再建した僧日静筆一字一石六万九〇〇〇余の妙経を写して、三宝諸天善神に寺院の加護を祈願した、貞享ごろ(一六八四~一六八)の礫石がある。(「町田市史」より)
妙行寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「町田市史」