北嵜山孝養寺|天文年間創建
孝養寺の概要
真言宗系単立寺院の孝養寺は、北嵜山と号します。孝養寺は、開山僧等は不詳ながら天文年間(1532-1554)に明王院と号して創建、元禄年間に孝養寺と改めたといいます。
山号 | 北嵜山 |
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院号 | - |
寺号 | 孝養寺 |
住所 | 町田市山崎町1508 |
宗派 | 真言宗系単立 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
孝養寺の縁起
孝養寺は、開山僧等は不詳ながら天文年間(1532-1554)に明王院と号して創建、元禄年間に孝養寺と改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による孝養寺の縁起
(山崎村)孝養寺
境内除地、八段三畝二十六歩、村の中央にあり、此邊の字を孝養寺平と云、古義真言宗、都筑郡岡上村東光院の末山なり、北崎山と號す、開山の事實年代等を傳へず、客殿四間半に五間、本尊大日木の坐像にして、長二尺許。(新編武蔵風土記稿より)
「町田市史」による孝養寺の縁起
孝養寺(山崎町)
所在地 町田市山崎町字孝養寺平。
宗派 古義真言宗豊山派。川崎市岡上東光院末。
山寺号 山崎山孝養寺。
開山 天文年中(一五三二~一五五四)と伝えるが開山者は不詳。はじめ明王院といったが、元禄年中孝養寺と改称したという。
本尊 大日如来、木座像長二尺。
本堂庫裡 元禄中(一六八八~一七〇三)建立したものを、天保八年(一八三七)に再建したが、大正一二年九月一日関東大震災で倒壊し、昭和一一年現在の本堂兼庫裡を再建した。四〇坪である。
孝養寺の現在と主張 孝養寺現住は稲津紀三師だが、師の所説によると、阿弥陀如来が理想的教主で、これを敷衍したものがインドでは釈迦、日本では聖徳太子なりとし、この二人を仏祖とし、昭和二六年宗教法人法に従って、岡上東光院から独立、単立寺院となった。そして、仏教の第一義を仏法の公布にありとし、竜樹空観、新唯織説の研究による一乗の教旨に立却し寺院運営をするという、仏教界においてはきわめて斬新な寺院を形成している。(「町田市史」より)
孝養寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「町田市史」