大元山長慶寺|江戸幕府より寺領4石3斗の御朱印状
長慶寺の概要
曹洞宗寺院の長慶寺は、大元山と号します。長慶寺は、明康(明応6年1497年寂)が開山、江戸期には幕府より寺領4石3斗の御朱印状を拝領したといいます。
山号 | 大元山 |
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院号 | - |
寺号 | 長慶寺 |
住所 | 町田市図師町465 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長慶寺の縁起
長慶寺は、明康(明応6年1497年寂)が開山、江戸期には幕府より寺領4石3斗の御朱印状を拝領したといいます。
新編武蔵風土記稿による長慶寺の縁起
(上圖師村圖師村)長慶寺
字馬欠にあり、大元山と號す、寺領四石三斗の御朱印を賜ふ、曹洞宗、小山田村大泉寺末、開山明康は明應六年十一月四日寂せり、本堂九間半に六間、本尊正観音は木の坐像、長一尺許行基の作なりと云。(新編武蔵風土記稿より)
「町田市史」による長慶寺の縁起
長慶寺(図師町)
所在地 町田市図師町二号四五六。
宗派 曹洞宗。町田市小山田大泉寺末。
山寺号 大元山長慶寺。
開山 明康。明応六年(一四九七)一一月四日示寂。
本堂 寄棟亜鉛葺、間口七間、奥行四間半、ほかに二間四方の玄関がついている。また、本堂正面二尺ほどの腰掛兼上りがまちがある。『風土記稿』には、本堂九間半に六間としてあるから、文化文政年間以後建て代えられたものであろう。木造平屋建築。
本尊 釈迦座像、蓮台とも一尺二寸。○鐘楼 九尺四面、江戸時代のもの。御堂形亜鉛葺(昭和三六年九月二三日屋根替した)。
梵鐘、昭和一九年供出。昭和三六年九月二三日新鋳。
庫裡 昭和四六年再建。木造二階建四〇坪。ほかに三坪の物置がつく。
境内に二間に二間半の守護神山王社を祀る堂があって、山王神像猿の木像を置くが、この木像は一木で注目に値する。長三寸五分。再興、文化一二亥九月。本願主又七。時の別当玄道。惣氏子中の棟札がある。面積七〇〇坪。
朱印 寺領四石三斗。(「町田市史」より)
長慶寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「町田市史」