上連雀神明社|井口権三郎が開発した連雀新田の鎮守
上連雀神明社の概要
上連雀神明社は、三鷹市上連雀にある神社です。上連雀神明社は、練馬区関町の井口家より分家した井口権三郎が連雀新田を開発、村の鎮守として寛文12年(1672)に創祀、明治4年村社に列格したといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照大御神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 三鷹市上連雀7-26-24 |
祭日 | - |
備考 | 旧村社 |
上連雀神明社の由緒
上連雀神明社は、練馬区関町の井口家より分家した井口権三郎が連雀新田を開発、村の鎮守として寛文12年(1672)に創祀、明治4年村社に列格したといいます。
※寛文12年に、上連雀井口院も開山しています。
境内石碑による上連雀神明社の由緒
上連雀神明社
この神社は練馬区関村在住の井口家五代井口八郎右衛門信忠が開発計画をした場所が将軍家の茅場となっていた所で刈り取り禁止の禁令が建てられていたため札野と呼ばれていた。その札野の範囲は寛文十年(西暦一六七〇年)「御札野新田村々方々へ相渡し申覚候」により大宮前(杉並区)、牟礼、連雀(三鷹市)、関前(武蔵野市)のあたりであった。そして八郎右衛門の三男井口権三郎が連雀分家となり、連雀前新田の開発を行い寛文十二年(西暦一六七二年)この地に村社として建立した。以来、当神明社は村民の崇敬の念厚く代々氏子の人達により護持され今日に至っております。(上連雀神明社氏子崇敬会掲示より)
新編武蔵風土記稿による上連雀神明社の由緒
(上連雀村)太神宮
除地、一段二畝廿歩、小名宿にあり。祠二尺四方、この内へ稲荷をも合せ祭れり。上屋九尺四方、拝殿二間に三間東向、神体は束幣の立像にて長一尺余、例祭九月廿一日、村内井口院の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
「三鷹市史」による上連雀神明社の由緒
祭神、天照大神。祭礼日9月21日。上連雀地区の鎮守。「東京都神社年鑑」によると、“正徳、連雀新田開発時創立”とあるが、連雀前新田開発時となると寛文年間(1661-73)の勧請と推測される。江戸時代は大神宮と称し井口院が別当寺であった。明治4年(1871)村社となり、現在の社殿は昭和55年に修理した。(「三鷹市史」より)
北多摩神社誌による上連雀神明社の由緒
正徳六丙申年連雀新田開発当時創立し、明治四年村社に列せられる。(北多摩神社誌より)
上連雀神明社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)