千ヶ瀬神社|藤橋吉政が承平3年大国主命を祀って創建
千ヶ瀬神社の概要
千ヶ瀬神社は、青梅市千ヶ瀬町にある神社です。千ヶ瀬神社は、藤橋吉政が承平3年(933)祖神である大国主命を祀って創建したといいます。その後理由は不明ながら稲荷社と称していたといい、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領1石5斗の御朱印状を拝領したといいます。江戸期には千ヶ瀬村の鎮守社、明治6年村社に列格したといい、明治7年御伊勢林の神明大神宮(江戸期には社領1石の御朱印状)を当社境内に遷宮、明治15年千ヶ瀬神社と改めたといいます。
社号 | 千ヶ瀬神社 |
---|---|
祭神 | 豊宇気姫命、猿田彦命、大宮能売命、大国主命、伊邪那美命、速須佐之男命、火産霊命 |
別殿 | 天照大神、豊受大神 |
境内社 | 八雲神社、浅間神社、春日神社 |
住所 | 青梅市千ヶ瀬町2-117 |
祭日 | 9月15日 |
備考 | - |
千ヶ瀬神社の由緒
千ヶ瀬神社は、藤橋吉政が承平3年(933)祖神である大国主命を祀って創建したといいます。その後理由は不明ながら稲荷社と称していたといい、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領1石5斗の御朱印状を拝領したといいます。江戸期には千ヶ瀬村の鎮守社、明治6年村社に列格したといい、明治7年御伊勢林の神明大神宮(江戸期には社領1石の御朱印状)を当社境内に遷宮、明治15年千ヶ瀬神社と改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による千ヶ瀬神社の由緒
(千ヶ瀬村)
神明社
河邊村堺にあり、小社、御朱印一石の社領を附す
稲荷社
村の東の方にあり、村内の鎮守とす、纔の本社にして拝殿は二間に三間、前に鳥居をたつ、これも御朱印五斗の社領を附せらる、以上二社ともに吉田派の神職高野山城の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による千ヶ瀬神社の由緒
出雲太郎故あって東下し、杵築大神を勧請してこれを出雲神社と称した。後に誤って大社権現と称し、火産霊神を合祀し、これを飯縄権現と記したことにより、延喜式記載に漏れたといわれる。もと稲荷大明神と称し、明治七年御伊勢林の神明大神宮をここに移し、同十五年二社を合わせて千ヶ瀬神社と改称した。慶安二年(一六四九)徳川氏より一石五斗の圭田の地を寄進され、爾後朱印状を付してその旨を証せられた。また、境内に朝日、夕日の御蔭と称する椎の樹二株があり、ともに出雲太郎の植えたものといわれ、千有余年を経て、いま枝葉繁茂している。ただし、夕日の御蔭は文明十二年(一四八〇)大風のため折れて枯木となり、現在のものは、後に植樹したものである。大正十五年現在の幣殿他を再建した。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による千ヶ瀬神社の由緒
千ヶ瀬神社
千ヶ瀬(現・千ヶ瀬二丁目)に鎮座する。祭神は豊字気姫命、猿田彦命、大宮能売命、大国主命、伊邪那美命、速須佐之男命、火産霊命、天照大神、豊受大神で、例祭は九月十五日である。
社伝によると、藤橋吉政が承平三年(九三三)、祖神である大国主命を祀ってこの地に社殿を建てたという。慶安二年(一六四九)、徳川幕府より社領一石五斗の御朱印を受けた。はじめ稲荷大明神と称し、明治六年、村社に列格した。
明治七年、御伊勢林の神明大神宮をここに遷し、明治十五年九月、この二社を合わせて千ヶ瀬神社と改称した。大正十五年、社殿を再建した。社宝に応安の棟札、勝海舟筆の幟一対などがある。また出雲太郎が植えたという境内の椎の木は、市指定の天然記念物である。境内面積は五八〇坪(一、九一四平方メートル)である。(「青梅市史」より)
千ヶ瀬神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 青梅市史