石神社|石上神宮を勧請、二俣尾村の鎮守
石神社の概要
石神社は、青梅市二俣尾にある神社です。石神社の創建年代等は不詳ながら、石上神宮を勧請したものだとも伝えられ、二俣尾村の鎮守社だったといい、明治6年村社に列格したといいます。
社号 | 石神社 |
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祭神 | 磐長比売命 |
相殿 | - |
境内社 | 八坂神社、愛宕神社 |
住所 | 青梅市二俣尾1-199 |
祭日 | 10月13日 |
備考 | - |
石神社の由緒
石神社の創建年代等は不詳ながら、石上神宮を勧請したものだとも伝えられ、二俣尾村の鎮守社だったといい、明治6年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による石神社の由緒
(二俣尾村)石神社
見捨地四畝許、村の入口東の方にあり、村の鎮守なり、鎮座の年代詳ならず、社三尺五寸四方、上屋あり四間四方、拝殿二間に五間、神鏡を安す、村持。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による石神社の由緒
創建年代不詳。もと石神大明神と称した。古伝に「当社は石上明神と称したが誤って、上を神としてしまった。本来は奈良県の石上神宮を勧請したものだ」という。『新編武蔵国風土記稿』に「石神社見捨地四畝歩村の入口東の方にあり、村の鎮守なり」とある。別当は青梅山金剛寺で、末寺の泉蔵院、正明院が交替で奉仕したという。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による石神社の由緒
石神社
二俣尾石神(現・二俣尾一丁目)に鎮座する。祭神は磐長比売命で、例祭は十月十三日である。創建は不明。古くは石神大明神と称した。『武蔵名勝図会』によると、「土人いう、当社は石神明神と称したが、誤って上を神としてしまった。本来は奈良県の石上神宮を勧請したもの」といわれている。
「御神体は丸き石なりとも云う」ともある。『新編武蔵風土記稿』には、「石神社見拾地四畝歩、村の入口東の方にあり、村の鎮守なり」とある。別当は青梅山金剛寺で、末寺の泉蔵院と正明院が隔年交替で奉仕したという。明治六年、村社に列格。境内のイチョウの木は、市の天然記念物である。境内面積は五〇六坪(一、六七〇平方メートル)である。(「青梅市史」より)
石神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 青梅市史