和田乃神社|日向和田・日影和田の鎮守
和田乃神社の概要
和田乃神社は、青梅市日向和田にある神社です。和田乃神社木の創建年代等は不詳ながら、和田明神と称して日向和田・日影和田(旧吉野村)の鎮守だったといいます。その後分村、三島社と称していたものの、明治2年和田乃神社と改称、明治6年には村社に列格したといいます。
社号 | 和田乃神社 |
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祭神 | 大山祇神、磐長比売神、茅野比売神 |
相殿 | - |
境内社 | 八雲神社、愛宕神社、雨祈神社、日向神社、波登利神社、菅原神社、柳久保之神社、細久保之神社、熊野神社 |
住所 | 青梅市日向和田2-317 |
祭日 | 9月1日 |
備考 | - |
和田乃神社の由緒
和田乃神社木の創建年代等は不詳ながら、和田明神と称して日向和田・日影和田(旧吉野村)の鎮守だったといいます。その後分村、三島社と称していたものの、明治2年和田乃神社と改称、明治6年には村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による和田乃神社の由緒
(日向和田村)三島社
除地一段七畝二歩、村の東の方にあり、神主を岩村日向と云、吉田家支配栗原左衛門が配下なり、本社は三間四方南向、上屋二間に三間、拝殿二間に四間半、神體は童形にて駒に跨れり、木像長さ八寸許、相傳ふ古は此邊り甚幽僻の地なれば、人も多く通ざるに、ある時童子馬に乗てすぎけるを、土人何故にか打殺けり、其後しばしば祟をなして村民を悩しければ、神に祭りて其冤魂をなだめんとて、三嶋明神と崇めしより、祟り忽にやみけるとぞ、此説うけかひがたきことなれど、土人の話なれば記をきぬ。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による和田乃神社の由緒
鎮座年月不詳。日影和田(旧吉野村)と、多摩川をはさんで和田村と称して一村のころ、当時和田明神と称した総鎮守であったが、多摩川を境として分村し、三島明神と唱えた。寛文八年(一六六八)穂川幕府査縄のさい、代将曾根五郎左衛門が畠一反七畝二歩を寄進。明治維新のさい和田乃神社と改めた。本殿は寛政五年(一七九三)七月、幣・拝殿は明治四十年八月の造営に成る。古老の伝によれば静岡県三島神社の分神を賜わっての創始という。氏子の崇敬ますます盛んとなる。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による和田乃神社の由緒
和田乃神社
日向和田(現・日向和田二丁目)に鎮座する。祭神は大山祇神、磐長比売神、茅野比売神を祀る。例祭は九月一日である。創建は不詳。はじめ和田明神と称し、後に三島明神と改称、寛文八年(一六六八)、畑一反七畝二歩が寄進され、寛政五年(一七九三)、社殿を改修、明治二年和田乃神社と改称し、同六年、村社に列格した。社宝として神鏡がある。境内面積は三三三坪(一、〇九九平方メートル)である。(「青梅市史」より)
和田乃神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 青梅市史