河辺春日神社|河辺村の鎮守社、旧村社
河辺春日神社の概要
河辺春日神社は、青梅市河辺町にある神社です。河辺春日神社の創建年代等は不詳ながら、春日社と称して字西先戸山林中に鎮座、河辺村の鎮守社で、社領3石の御朱印状を拝領していたといいます。火災により明和元年(1764)焼失、東円寺住職心眠房意賢が当地に再建、明治6年村社に列格したといいます。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | 武甕槌神、経津主神、天児屋根神 |
相殿 | - |
境内社 | 神明神社、稲荷神社 |
住所 | 青梅市河辺町3-1066 |
祭日 | 9月19日 |
備考 | - |
河辺春日神社の由緒
河辺春日神社の創建年代等は不詳ながら、春日社と称して字西先戸山林中に鎮座、河辺村の鎮守社で、社領3石の御朱印状を拝領していたといいます。火災により明和元年(1764)焼失、東円寺住職心眠房意賢が当地に再建、明治6年村社に列格したといいます。
新編武蔵風土記稿による河辺春日神社の由緒
(河邊村)春日社
社地十間四方、村の中程にあり、三間四方の覆屋なり、前に鳥居を建、村内の鎮守なり、御朱印三石の社領を附せらる、本村東圓寺持なり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による河辺春日神社の由緒
鎮座年月不詳。もと春日大明神と称し、明治二年社号を改めた。旧社は字西先戸山林中にあったが、明和元年(一七六四)十二月五日火災により焼失、東円寺住職心眼坊意賢村民と協力して、明和二年(一七六五)より安永三年(一七七四)にかけて、現在地に社殿を再営、別当となり、神仏分離令により神職の奉仕にかわった。明治三十五年十二月二十三日春日神社と改称。大正九年三月、調布村より一町五反の山林の寄進を受けたが、社殿修復のため処分した。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による河辺春日神社の由緒
春日神社
河辺(現・河辺三丁目)に鎮座する。祭神は武甕槌神、経津主神、天児屋根神、此売大神で、例祭は九月十九日である。創建は不明。往古は字西先戸山林中にあり、春日大明神と称した。明和元年(一七六四)十二月火災により焼失、同二年より安永三年(一七七四)にかけて、東円寺住職心眠房意賢が現在地に再建し、別当となった。明治六年、村社に列格。社号も春日神社と改称した。社宝に木製の御神体、棟札などが現存する。境内面積は三三二坪(一、〇九六平方メートル) である。(「青梅市史」より)
河辺春日神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 青梅市史