拂澤熊野神社|濱竹熊野神社を分祀して創建
拂澤熊野神社の概要
拂澤熊野神社は、青梅市御岳にある神社です。拂澤熊野神社は、濱竹熊野神社を分祀して寛文12年(1672)に創建したといいます。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊弉那美命、速玉之男命、事解之男命 |
相殿 | - |
境内社 | 八雲神社、箱根神社、稲荷神社、山神社 |
住所 | 青梅市御岳1-122 |
祭日 | 3月20日 |
備考 | - |
拂澤熊野神社の由緒
拂澤熊野神社は、濱竹熊野神社を分祀して寛文12年(1672)に創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による拂澤熊野神社の由緒
(端村中野村)熊野社
年貢地、村の東小名拂澤の南方なる山下にあり、是は濱竹に立る社を勧請せしと云、小社なり、例祭は前に同じ。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による拂澤熊野神社の由緒
もと熊野権現と称し、寛文十二年(一六七二)中野鎮座の熊野神社の分祀。嘉永四年(一八五一)二月、社殿を再建し、明治三年現社号に改めた。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による拂澤熊野神社の由緒
御岳中野(現・御岳一丁目)に鎮座する。祭神は伊弊郡美命、速玉之男命、事解之男命で、例祭は三月二十日である。創建は天文年間(一五三二~一五五四)と伝えられ、社伝によると三田氏の家臣洪竹五郎の居住地であったが、五郎縁の本宮、新宮、那智、三山の神をこの地に勧請し、本山修験であった宮本家に奉仕させたという。寛政五年(一七九三)八月社殿を再建し、慶応四年(明治元年一八六八)九月宮本右善の代に神祇道によって奉仕。明治六年、村社に列格し、同二十八年に社名を改称した。同四十四年、拝殿を新築した。境内面積は一八七坪(六一七平方㍍)である。(「青梅市史」より)
拂澤熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 「青梅市史」