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濱竹熊野神社|青梅市御岳の神社

濱竹熊野神社の概要

濱竹熊野神社は、青梅市御岳にある神社です。濱竹熊野神社は、三田氏の家臣で熊野党の浜竹五郎が、砦(柵)のあった当地に熊野三社権現を勧請して創建したといいます。

濱竹熊野神社
濱竹熊野神社の概要
社号 熊野神社
祭神 伊弉那美命、速玉之男命
相殿 事解之男命
境内社 八雲神社、稲荷神社、山神社、霹靂社、愛敬社、大国主社、恵毘須社、宗像社、水神社、風神社、日神社、月夜見社、御嶽社、八幡社、春日社、神明社、琴平社、住吉社
住所 青梅市御岳2-376
祭日 3月20日
備考 -



濱竹熊野神社の由緒

濱竹熊野神社は、三田氏の家臣で熊野党の浜竹五郎が、砦(柵)のあった当地に熊野三社権現を勧請して創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による濱竹熊野神社の由緒

(端村中野村)熊野社
除地一段六歩、字濱竹にあり、小社にて上屋を立、例祭毎年二月二日、村内修験大行院持。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による濱竹熊野神社の由緒

天文年間創立(一五三一-五五)もと熊野三社大権現と称し、御一新のさいに朝旨を奉戴して熊野大神と改称し、明治二十八年現名に改替した。社伝によると平将門の末裔三田氏の家臣浜竹五郎が居住していたが、五郎は熊野党なるゆえに本宮(伊弉那美命)、新宮(速玉之男命)、那智(事解之男命)三山の神を砦柵牙営の清地に勧請し、修験の者に奉祀させたという。永禄年間(一五五八-七〇)三田氏滅亡し、北条の支族陸奥守氏照、さらに徳川氏を経て慶応四年(一八六八)九月、累代奉仕の修験者・庭滝山大行寺良玄鎮府御伝達所の御付箋をもって復飾、宮本右膳(後豊重と改む)と改名し、神祇道をもって奉仕した。明治三年十二月神社書上帳を江川太郎左衛門英武の庁に提出、同五年神奈川県管轄に属し、同二十六年東京府に属し今日に至った。なお、寛政五年(一七九三)八月、社殿を再建している。(東京都神社名鑑より)

「青梅市史」による濱竹熊野神社の由緒

該当記載なし(「青梅市史」より)


濱竹熊野神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 「青梅市史」