成木熊野神社|青梅市成木の神社

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成木熊野神社|小田原北条氏に属していた木崎平次郎が元亀2年勧請

成木熊野神社の概要

成木熊野神社は、青梅市成木にある神社です。成木熊野神社は、小田原北条氏に属していた木崎平次郎(美作)が、元亀2年(1571)に紀州熊野権現を勧請して創建したといいます。木崎平次郎(美作)はその後白土焼を創始、石灰生産の窯元などからの崇敬を受けたといいます。明治6年村社に列格、明治22年までは上成木神社と称していたといいます。本殿は木崎平次郎(美作)の孫内藤文蔵等によって再興されたもので、東京都有形文化財に指定されています。

成木熊野神社
成木熊野神社の概要
社号 成木神社
祭神 伊弉諾命、速玉之男命、事解之男命
相殿 -
境内社 大黒天宮
住所 青梅市成木3-207
祭日 10月10日
備考 -



成木熊野神社の由緒

成木熊野神社は、小田原北条氏に属していた木崎平次郎(美作)が、元亀2年(1571)に紀州熊野権現を勧請して創建したといいます。木崎平次郎(美作)はその後白土焼を創始、石灰生産の窯元などからの崇敬を受けたといいます。明治6年村社に列格、明治22年までは上成木熊野神社と称していたといいます。

新編武蔵風土記稿による成木熊野神社の由緒

(上成木村)熊野社
除地、一段二畝九歩、小名大蔵野の峯にあり、社五尺に七尺、神體は鏡なり、拝殿二間に三間、例祭九月十五日なり、村内大泉寺の持。村民の持、下分にあり。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による成木熊野神社の由緒

成木神社
創建は元亀二年(一五七一)九月、白土焼の創始者木崎平次郎(美作)が、熊野権現を勧請したと伝えている。のち寛永十七年(一六四〇)平次郎の孫内藤文蔵が再営し、宝暦三年(一七五三)中村次郎右衛門、木崎平蔵がさらに修営、(中村氏は木崎氏の養子で、一時、中村姓を名乗る)寛文(一六六一-七三)の検地で除税。『新編武蔵風土記稿』には熊野社(大泉寺持)とあるが、明治二十二年までは上成木熊野神社と称した。この神社は、石灰生産の窯元をはじめ、近郊周辺の住民の信仰をつめ、旧鳥居には江戸蛎殻町窯元中寄進と刻まれ、石製の「熊野社」の社額は、江戸時代の有名な儒学者菊池五山の揮毫である。成木道(石灰の道)、青梅街道の発祥を証明するものとされ、石段は一七五段あって、地元の石灰を角柱に切って作られ、階下には天明二年(一七八二)の階供養塔がある。(東京都神社名鑑より)

「青梅市史」による成木熊野神社の由緒

成木神社
大蔵野(現・成木三丁目)に鎮座する。祭神は伊井諾命、速玉之男命、事解之男命を祀る。例祭は十月十日である。創建は元亀二年(一五七一)九月に、白土焼の創始者木崎平次郎が熊野権現を勧請したと伝える。寛永十七年(一六四〇)社殿を再建し、宝暦三年(一七五三)に修復する。旧鳥居には「江戸蛎殻町窯元中寄進」と刻まれ、その石製の社額に 「熊野社」と刻まれているが、これは江戸時代の儒学者・菊池五山の揮毫で珍しい。明治六年、村社に列格。同二十二年までは上成木神社と称した。社宝として神鏡がある。本殿は都の有形文化財に、境域は都の史跡に指定されている。境内面積は一、七一六・三坪(五、六六四平方㍍)である。なお、ここの獅子舞は市の無形民俗文化財に指定されている(「青梅市史」より)


成木熊野神社所蔵の文化財

  • 成木熊野神社本殿(東京都指定有形文化財)
  • 成木熊野神社境域

成木熊野神社本殿

成木熊野神社は、元亀二年(一五七一)、北条氏に属していた在地の武士の木崎美作が、紀州熊野権現を勧請したことに始まると伝えられています。この本殿は、棟札から寛永一七年(一六四〇)に木崎美作の孫、内藤文蔵等によって再興されたもので、大工佐藤嘉右衛門が建立に携わりました。間口一間(一・四〇五m)、梁間二間(二・一四四m)の一間社春日造ですが、通常の春日造りと異なり、縋破風(本屋根の軒先にさらに付け出す方流の破風)を省略しています。また、本殿と同じ床高の向拝を設け、柱下に土台を付けて安定させた見世棚造となっています。屋根は厚さ三mmほどの板を重ね合わせて葺いた杮葺で、正面は入母屋造、背面は切妻造となっています。彩色は弁柄を主としていますが、一部に墨と胡粉が使用されています。建立年代が明らかで、当初の形態を残した西多摩地域では最古の建造物として、また縋破風を設けない形式の地方伝播の過程を知る上で貴重な本殿です。なお、内部には宝暦三年(一七五三)造立の厨子が安置されています。(東京都教育委員会掲示より)

成木熊野神社境域

成木熊野神社は小田原北条氏に属していた木崎美作が、元亀二年(一五七一)に紀州熊野権現をこの地に勧請したものと伝えられています。
ほぼ一山の南面を山頂から山麓にかけて神域とし、棟札から寛永一七年(一六四〇)建立の本殿(都指定有形文化財)を中心に拝殿・神楽殿などの諸殿舎と江戸時代中期寄進の鳥居・石段などが配置されています。
鳥居から拝殿までの一八四段の石段は、天明元年(一七八一)に石灰石を切って造られました。かつては幅三尺でしたが、大正五年に五尺に拡張されています。
旧鳥居は木崎平七が発願し、石灰窯主などの寄進により文政に縁(一八一九)に建立されたもので、石造扁額とともに成木道(石灰の道)との関連を示しています。旧上・下成木村の鎮守社として、旧態をよく保っている神社です。(東京都教育委員会掲示より)

旧鳥居

旧鳥居は文政二年(一八一九)木崎平七(天ヶ指大東の人 文化四年生まれ名主をつとむ初代成木村長木崎雄蔵の父君)が願主となり当時の三村(上成木下分村 上成木上分村 北小曽木村)の石灰窯主木崎喜三郎(麹町)新井新蔵(牛込)佐藤与兵衛(相州)らの寄進によって建てられたものである。
又鳥居の中央には江戸時代の巧妙な儒学者菊地五山書「熊野社」なる石造扁額が掲げられていたがこの額は別途保管している。この鳥居は昭和二十八年(一九五三)伐採木が当たり倒壊したものを復元したものである。(成木熊野神社文化財保存会掲示より)


成木熊野神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 青梅市史