北小曽木神明神社|明治41年字蜆沢から当地に遷座
北小曽木神明神社の概要
北小曽木神明神社は、青梅市成木にある神社です。北小曽木神明神社の創建年代等は不詳ながら、名主野崎嘉右衛門、木崎善八が明和4年(1767)が再建したといいます。明治維新後村社に列格、明治41年、字蜆沢から当地に遷したといいます。
社号 | 神明神社 |
---|---|
祭神 | 天照大神、豊受大神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 青梅市成木8-315 |
祭日 | 9月9日 |
備考 | - |
北小曽木神明神社の由緒
北小曽木神明神社の創建年代等は不詳ながら、名主野崎嘉右衛門、木崎善八が明和4年(1767)が再建したといいます。明治維新後村社に列格、明治41年、字蜆沢から当地に遷したといいます。
新編武蔵風土記稿による北小曽木神明神社の由緒
(北小曾木村)
七社権現社
年貢地、社地、十二間四方、字栗平の山上少くくぼき處にあり、社五尺に三尺、神體白幣、拝殿九尺に三間、東に向ふ、村内明寶院の持。
-
牛頭天王社
年貢地、字岩井山の中央にあり、僅なる小祠、南向にて、神體白幣、村内保福院持。
-
神明社
年貢地、社地、二間に九尺、字蜆澤山にあり、わづかなる社にして、南向、神體白幣、拝殿二間に九尺、前に鳥居を立つ、これも村民の持なり。
-
稲荷社
年貢地、社地、二間四方、字坂下山の中央にあり
-
稲荷社
年貢地、社地、十坪許。字夕倉山の中央にあり。
-
熊野社
年貢地、社地、六間四方、字漆尾山の麓にあり。
-
山神稲荷合社
年貢地、社地、十坪許、字正澤山にあり。
-
稲荷社
年貢地、廿坪許、字亦新田山の中央にあり。
-
神明社
年貢地、十坪、字夕倉山にあり
-
第六天社
年貢地、一間四方、字夕倉山にあり
-
山神社
年貢地、九尺四方、字白岩山にあり、以上の九社は共に小祠にして、白幣を神體とし、村民の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による北小曽木神明神社の由緒
赤仁田(現・成木八丁目)に鎮座する。祭神は天照大神、豊受大神で、例祭は九月九日である。創建年代は不明。社伝によると明和四年(一七六七)九月、時の名主野崎嘉右衛門、木崎善八が再建したとある。その後文政八年(一八二五)に改築された。明治維新後村社に列格し、明治四十一年、蜆沢に鎮座されていたのを、現在地に遷した。境内面積は一〇〇坪(三三〇平方㍍)。(東京都神社名鑑より)
「青梅市史」による北小曽木神明神社の由緒
記載なし(「青梅市史」より)
「西多摩郡村誌」による北小曽木神明神社の由緒
北小曽木村誌
神明社
雑社。社地縦八間壹尺二寸、横四間、面積三十二坪八。元標ヨリ字蜆澤百四十番、官地ニアリ。天照大御神、豊受大御神ノ二柱ヲ祭ル。鎮座年月干支未詳ナラズ。元神明大神宮ト稱ス。維新ノ際社號改替ス。社地ハ森々タル雅木ノ杉林ナリ。例祭九月九日。岩村正盛兼勤奉仕ス。(「西多摩郡村誌」より)
北小曽木神明神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 青梅市史
- 「西多摩郡村誌」