虎柏神社|青梅市根ヶ布の神社、旧郷社

猫の足あとによる多摩地区寺社案内

虎柏神社|伝承崇神天皇の御代の創建、縁起式内社の論者、旧郷社

虎柏神社の概要

虎柏神社は、青梅市根ヶ布にある神社です。虎柏神社の創建年代等は不詳ながら、崇神天皇の御代の創建と伝えられる、延書式神名帳所在の旧社だといいます(註:調布市の虎狛神社と共に論社)。天慶3年(940)には平将門征伐軍の源経基が、諏訪上下大神を勧請したことから古くは諏訪宮とも称していたといい、天正19年(1591)には徳川家康より社領3石の御朱印状を拝領、明治6年郷社に列格、社号は明治維新後に虎柏神社と改めたといいます。

虎柏神社
虎柏神社の概要
社号 虎柏神社
祭神 大年御祖神、惶根神
相殿 建南方命、事代主命、須佐之男命
境外社 高峰山神社
住所 青梅市根ヶ布1-316
祭日 8月28日
備考 -



虎柏神社の由緒

虎柏神社の創建年代等は不詳ながら、崇神天皇の御代の創建と伝えられる、延書式神名帳所在の旧社だといいます(註:調布市の虎狛神社と共に論社)。天慶3年(940)には平将門征伐軍の源経基が、諏訪上下大神を勧請したことから古くは諏訪宮とも称していたといい、天正19年(1591)には徳川家康より社領3石の御朱印状を拝領、明治6年郷社に列格、社号は明治維新後に虎柏神社と改めたといいます。

新編武蔵風土記稿による虎柏神社の由緒

(根布村)諏訪明神社
虎柏神社、高峯神社を相殿に祭る、諏訪明神社領三石の御朱印を附せらる、本社三間に一間、拝殿三間に一間半、前に鳥居を建つ、吉田派の神職宮崎左近持、社傳に【延喜式】の内虎柏神社は當社のことにして、祭神進雄尊なりと云、いつの頃よりか諏訪明神を以て通稱とし、虎柏の名は古名とのみ心得、幷せて三神鎮座の由来をも失へり、今小曾木郷の總社とす、しかるに當郡柏江郷佐須村にも亦虎柏の社あり、別當虎柏山日光院安楽寺といふ、彼村にても亦式内のよしをいへり、いづれを是とすべきや、佐須村の條を幷せ見べし。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による虎柏神社の由緒

創建年代不詳。崇神天皇のころ神地を給わったと伝えられ、延喜式内の旧社と称せられている。昔は諏訪宮とよばれた。(天慶三年九四〇源経基諏訪上下大神を勧請した)文応元年(一二六〇)再建、永正年間(一五〇四-二一)勝沼城主三田氏の信仰厚く社殿の改築を行なった。現社殿は正徳三年(一七一三)再建のものである。維新のさい旧名に復し、根ヶ布地区の鎮守であり、古くは小曾木郷の総社であった。朱印状は三石である。(東京都神社名鑑より)

「青梅市史」による虎柏神社の由緒

虎柏神社
旧霞地区の根ヶ布(現・根ヶ布一丁目)に鎮座する。祭神は大年御祖神、惶根神、建南方命、事代主命(東相殿)、頚佐之男命(西相殿)で、例祭は八月二十六、七、八日である。
創建は伝えるところによると、崇神天皇のころ神地を給わり、古くは諏訪宮とも称した延書式内の旧社である。天慶三年(九四〇)、源経基が諏訪上下大神を勧請したと伝える。
文応元年(一二六〇)に再建し、永正年間(一五〇四~一五二〇)、勝沼城主三田氏の信仰厚く、社殿の建築を行った。現在の本殿は正徳三年(一七一三)に再建したものである。当時の御朱印は三石である。明治維新のとき社名を旧名に改め、明治六年に郷社に列格した。社宝の縁起板によると、往古、武蔵国小曾木郷の総社であったことが知られる。
本殿は都有形文化財に、境内は都史跡に、おとの入り神事は都無形民俗文化財に指定されている。境内面積は二、二〇九坪(七、二九〇平方メートル)である(「青梅市史」より)


虎柏神社所蔵の文化財

  • 虎柏神社境域(東京都指定旧跡)
  • 虎柏神社本殿一棟(東京都指定文化財)
  • 市史蹟虎柏神社

虎柏神社境域

虎柏神社は、定かではないが、いわゆる延喜式内社に比定される古社である。
当神社は永正年間(一五〇四~一五二一)勝沼城主三田氏宗により再興されたと伝えられ、享保一二年(一七二七)の「武蔵国多摩郡小曽木郷惣社縁起」には、天正一八年(一五九〇)浅野長政が正殿に諏訪神、東の相殿に虎柏神、西の相殿に疫神を定め、小曽木郷の総社を号したと記されており、江戸時代は諏訪明神社と称していた。天正一九年一一月には徳川氏より朱印地三石を下賜されているが、朱印高は幕末まで変わることはなかった。
明治三年(一八七〇)には社号を旧名の虎柏神社に改め、虎柏神を正殿、諏訪神を東側に遷座し、明治六年一二月合社に列せられている。
現在の境域には享保一九年(一七三四)建立の本殿を中心に配置された諸殿舎と江戸時代以降に寄進された石造物、及び古木の境内林などが存し、江戸・明治期の旧態をよく留め、宗教的神秘性を有する独特な空間を形成している。
指定面積は四五、一五五・二三平方メートルである。(東京都教育委員会掲示より)

虎柏神社本殿一棟

享保一九年(一七三四)多摩郡青梅村大柳の張海次郎兵衛が棟梁をつとめ、同郡羽村根岸の大工宮川善右衛門らが工事に携わり、建立されたものである。
形式および構造は三間社、切妻造り、茅葺きで、身舎の規模は桁行四・八七七メートル、梁間二・九四〇メートルとなっている。
記録によると安永六年(一七七七)に修理が行われたが、その後、明治二五年(一八九二)に階修理と屋根の葺替え、同三九年には屋根の葺替えが実施されている。
当本殿は、公儀普請の建物を除くと東京都内の中で数少ない三間社の遺構の一つで、建築年代も三間社としては古い時期に属し、装飾的要素も控えめで全体的に古式を伝える貴重な神社建築である。(東京都教育委員会掲示より)

市史蹟虎柏神社

祭神は大年御祖神ほか四柱を祀り、例祭は八月二十八日である。延喜式内の旧社と伝え、昔は諏訪宮と称した。文応元年(一)再建、永正年間(一五〇四~二〇)勝沼城主三田氏の信仰厚く、社殿の改築を行った。明治維新のおり、旧名に復し、古くは小曽木郷の総社であったが、明治六年郷社に列した。社宝として多摩郡小曽木郷惣社縁起板二枚がある。(青梅市教育委員会掲示より)

虎柏神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 青梅市史