小曽木御嶽神社|日本武尊が東征のおり勧請との伝承、旧蔵王権現社

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小曽木御嶽神社|青梅市小曽木の神社

小曽木御嶽神社の概要

小曽木御嶽神社は、青梅市小曽木にある神社です。小曽木御嶽神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が東征のおり勧請したと伝えられ、江戸期には蔵王権現社と称していたといいます。明治3年御嶽神社と改称。明治6年村社に列格したといいます。

小曽木御嶽神社
小曽木御嶽神社の概要
社号 御嶽神社
祭神 天穂日命
相殿 大穴牟遅命、少彦命、広国押武金日命
境内社 武尊神社
住所 青梅市小曽木5-3065
祭日 3月15日
備考 -



小曽木御嶽神社の由緒

小曽木御嶽神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊が東征のおり勧請したと伝えられ、江戸期には蔵王権現社と称していたといいます。明治3年御嶽神社と改称。明治6年村社に列格したといいます。

新編武蔵風土記稿による小曽木御嶽神社の由緒

(南小曾木村)
蔵王権現社
見捨地二間半四方、小名岩倉にあり、御嶽山と云、本社四尺、上屋二間四方、南向、神體は鏡の如きものの内に像を鑄出せり、古は三面ありしを一面は郡内新町村へかし、今二面を存す、當山派修験蔵王院の持なり。
蔵王院
除地八畝五歩、小名岩倉にあり、堂二間四方南向、本尊不動木の立像にて長一尺五寸なるを安ず。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による小曽木御嶽神社の由緒

日本武尊の東征時勧請と伝えられる。相殿は御嶽蔵王権現。寛平(八八九ー九八)の勧請で奥津宮といい、後方山上に鎮座していたが、安永年間(一七七二ー八一)山火事により本社に合祀。明治元年社号を改めた。(東京都神社名鑑より)

「青梅市史」による小曽木御嶽神社の由緒

御嶽神社
岩蔵(現・小曾木五丁目)に鎮座する。祭神は天穂日命、大穴牟遅命、少彦名命、広国押武金目命を祀る。
例祭は三月十五日である。創建は不詳。伝えによると、日本武尊が東征のおり勧請したという。神殿は御嶽蔵王権現で寛平年中(八八九~八九七)の勧請で奥津宮といい、北方の山頂に鎮座していたが、安永年中(一七七二~一七八〇)山火事により炎上し、同五年(一七七六)、本社に合祀する。明治三年、現在の社名に改称。同六年、村社に列格する。
御神体の懸仏二面は市指定の有形文化財である。境内面積は一五七坪(五一八平方㍍)である。(「青梅市史」より)


小曽木御嶽神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑
  • 青梅市史