久平稲荷神社|平岡家内に安永3年に創祀
久平稲荷神社の概要
久平稲荷神社は、青梅市上町にある神社です。久平稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、日本最初稲荷大明神と称して平岡家内に安永3年(1774)に創祀したといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 若宇迦之売命、猿田毘古大神、天宇受売命 |
配祀 | - |
境内社 | - |
住所 | 青梅市上町406 |
祭日 | 3月15日 |
備考 | - |
久平稲荷神社の由緒
久平稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、日本最初稲荷大明神と称して平岡家内に安永3年(1774)に創祀したといいます。
新編武蔵風土記稿による久平稲荷神社の由緒
(青梅村)
該当なし(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による久平稲荷神社の由緒
記載なし。(東京都神社名鑑より)
「西多摩郡村誌」による久平稲荷神社の由緒
稲荷神社(上町久平稲荷)
雑社。社地縱二間、横二間三尺。面積五坪。元標ヨリ(記述なし)民有地二種、町共有地ニアリ。若宇迦之賣命、猿田毘古大神、天宇受賣命ヲ祭ル。元稲荷大明神ト稱シ、鎮座年月干支未詳ナラズ。安永三甲馬年二月、京都日本最初稲荷宮祠官松本筑後守ニ就テ神璽ヲ奉迎シ爾来正一位稲荷大明神ト稱シタリ。ソノ本願ノ人名ヲ缺ク。爾後安政六巳未年四月、村民横川貞八郎再ヒ本宮祠官筑後守秦宿彌爲邑ニ就テ嚴璽ヲ奉迎セリ。然ルニ從前社殿營繕等ノ所傳ヲ失シタリ。明治三庚午年、官ノ令奉戴シ社號ヲ改替ス。例祭初午ノ日ヲ以テ祀ル。宮本氏奉仕ス。(「西多摩郡村誌」より)
境内掲示による久平稲荷神社の由緒
稲荷という言葉は稲生、或は稲成という意味で稲が立派に成育する守護をいったものである。これは「いなり」の神は五穀成就の神として秋稲穂が立派に稔るとこれを刈り束ねたものを盾に荷なって神に捧げたところから「稲を荷なう」という文字を使うように至ったといわれている。
安永三年(一七七四年)二月鳥居の額に「日本最初稲荷大明神」と書いた稲荷社(京都の現伏見稲荷大社)により神霊を奉迎して当町平岡家屋敷内に安置し、俗に治左衛門稲荷と呼んでいたが、後に今の久平稲荷と呼ぶようになった。その間神璽と書類を失い、安政六年(一八五九年)四月町内の横川貞八が京都に赴き再び神璽を奉迎する。
明治三年、官の命により稲荷大明神を正一位稲荷大明神と改めた。昭和二十九年三月二十五日宗教法人として設立登記する。(境内掲示より)
久平稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 西多摩郡村誌