安楽寺|青梅市成木にある真言宗系単立寺院

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成木山安楽寺|行基僧正が和銅年間に軍荼利明王を彫刻して創建、多摩八十八ヶ所霊場

安楽寺の概要

真言宗系単立寺院の安楽寺は、成木山愛染院と号します。安楽寺は、行基が和銅年間(708-714)に軍荼利明王を彫刻・安置して創建したといいます。鎌倉期には源頼朝が愛染明王を納め愛染院を建立、足利尊氏は大泉坊、財泉坊、吉祥坊、多門坊等の六僧坊を暦応年間(1338-1341)に建立したといいます。天正19年(1591)には徳川氏から寺領七石の御朱印状を拝領、末寺29ヶ寺を擁する檀林所だったといいます。多摩八十八ヶ所霊場45番、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所38番です。

安楽寺
安楽寺の概要
山号 成木山
院号 愛染院
寺号 安楽寺
住所 青梅市成木1-583
宗派 真言宗系単立
葬儀・墓地 -
備考 -



安楽寺の縁起

安楽寺は、行基が和銅年間(708-714)に軍荼利明王を彫刻・安置して創建したといいます。鎌倉期には源頼朝が愛染明王を納め愛染院を建立、足利尊氏は大泉坊、財泉坊、吉祥坊、多門坊等の六僧坊を暦応年間(1338-1341)に建立したといいます。天正19年(1591)には徳川氏から寺領七石の御朱印状を拝領、末寺29ヶ寺を擁する檀林所だったといいます。

新編武蔵風土記稿による安楽寺の縁起

(下成木村)八幡社安楽寺
境内八千七百九十坪餘、村の中央より北の方山の中腹にあり、新義眞言宗、御室御所仁和寺の末、成木山愛染院と號す、本堂十三間に七間半南向、本尊不動木の坐像にて長二尺餘、二童子は立像にて長一尺六寸許、起立は聖武天皇の御宇行基菩薩開基せしとのみ傳へて、年歴事實を詳にせず、鐘銘には足利尊氏暦應年中の草創なりとあり、何れが是なるや疑ふべし、縁起を閲するに、往古此山上に數十圍の楠樹あり、時々鳴動して雷光を發しけり、折しも行基關東遊經の序、當所にしばらく錫をとどめ、此樹下に座禅せしに、かの光りの中より軍荼利不動明王の形あらはれけるゆへ、行基かの楠木をもて自ら其明王の姿を彫刻して、一宇をいとなみて安置せり、因て鎮護国家安楽寺と號す、夫よりして此所を成木郷軍荼利村と唱ふといへり、其後平将門一部の法華經を納め、鎌倉右大将賴朝も又屬臣畠山次郎重忠をして、弘法大師彫刻の愛染明王を納めしめ、又足利尊氏浄侶六坊をいとなましめ、及び北條家より兵革亂妨禁止の制札を下せし事などあり、往古はかかる盛んの寺なりしが、其後しばしば兵火にかかりて堂宇及び什寶等をことごとく焼失す、天正の初にいたり、僧賢能なる者志を勱し、力をつくして再興せりと、因てこれを中興開山とす、此餘うけかひがたき説のみ書のせたれば、信じがたきことなれど、古くより傳へしなれば、しばらく其あらましを録して全文をば略しぬ。同き十九年御入國ののち、寺領七石の御朱印をたまふ、この文中には高麗郡とあり、今は當郡に屬したれど、郡の堺の村なれば古くは彼に屬し、これに録せしことままあり。
鍾樓。門を入て右にあり、一丈四方、鐘の徑り二尺三寸、高三尺五寸、銘文には尊氏将軍暦應中の草創とあり、又天正十八年太閤秀吉小田原陣の時、昔の鐘は陣中に用ひ鐘なきことを載たれど、是は銘文をあやまれるにぞ、既に天正十六年北條氏が當寺を借用せしことを記せし、朱印の古文書あるを以て知るべし、其後は鐘もなかりしかば、慶安三年僧賢重なるもの檀越を勧化して、供鐘を鑄造せり、しかるにこれも年ならず撞損しければ、享保十六年再び鑄造せしと云。
寶篋印塔。本堂の前西の方にあり、高さ二丈五尺、廣さ二間半、經蔵にして愛染明王を安す、木の坐像一尺六寸、弘法大師の作にて、前にいふ所の右大将賴朝の納めしむる所なりと。
脇士多門吉祥の二天共に長七寸許の立像なり、寺傳に此塔の正面の柱に、佛舎利十五粒を籠をけりと云。
源龍権現社。境内鎮守、小祠、乾の隅山林の中にあり。
禁制
右軍勢甲乙人、假初にも當寺来致横合非分者有之者、則可相搦、猶不及手柄ニ付而者、記交名可有披露、可被處罪科旨被仰出者也、仍如件、
虎印 庚午十月廿五日
塀和刑部丞奉之
愛染院
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依天下之御弓矢達、當寺之鐘御借用ニ候、速ニ可有進上候、以世上御靜謚之上、被鑄立可有御寄進間、爲先此御證文、其時節可被遂披露旨被仰出者也、仍如件、
天正十六年戊子正月五日
成木愛染院
塔中
吉祥院。除地上畑一段二畝、堂地一畝二十歩、境内南の方にあり、堂十間に五間南向、不動の立像長一尺二寸なるを安す。
多門院。除地上畑九畝の内寺地二畝二十歩、小名大木の下にあり、堂八間に二十間南向、彌陀の立像を安す、長一尺一寸。
軍荼利明王堂。除地上畑三段十八歩、堂地百五十坪許、安楽寺の境内つづき東の方にあり、安楽寺は元此堂の別當にて、今も指揮せり、社家丹波といへるを境内に住せしめて、これを守らしむ、村内の總鎮守なり、堂五間四尺に横五間二尺南に向ふ、本尊木のリズ王八臂の形一丈餘、前にいふごとく行基菩薩の作なり、のちあまたの星霜を歴は隤廢せんことを患へ、紙にて其像を張、澁を以て塗くれば、木の色辨じがたし、亦側に明王の類と覺しき像二軀あり、大さ三尺ばかり、古物なれど未だ再修に及ばず、まことは何の像なりやつまびらかならず。
仁王門。三間餘に二間餘、仁王の木像、一は黒く、一は赤くして長七尺ばかり、その作をつたへざれど、いかにも古き像にて、鎌倉の佛師などの作れる者にも有べきや、尋常の像とは異なりし者なり、又門も近世の營にはあらず、其柱は松の丸木にて所々虫喰て文をなし、いと古き色口也。
大門。境内入口にあり、ここより明王堂まで一町許、道幅一間にて直路なり。
辨財天祠。仁王門の内西の方にあり、小祠、神體は石の逆鉾にて、二つに折てあり。
白山社。明王堂の後ろ東の方に在、小祠。
薬師堂。明王堂に向て右の方にあり、二間四方、本尊は木の坐像にて長一尺。(新編武蔵風土記稿より)

「青梅市史」による安楽寺の縁起

安楽寺(成木山愛染院)
下成木(現・成木一丁目)にあり、本尊は不動明王(胎内仏愛染明王)である。縁起に奈良時代・和銅年間(七〇八~七一四)僧行基が諸国巡錫の途次、山上の樟の巨木が鳴動し光を発した。その光の中に軍茶利の形を見て、この木を伐り一丈二尺(三・六メートル)の軍荼利明王を彫りあげ一堂に安置したのが、安楽寺の基という。樟木が鳴ったので、鳴木すなわち成木山と号したという。鎌倉時代、源頼朝が家臣畠山重忠をして自らの念持仏愛染明王を納め愛染院を建立。また足利尊氏も暦応年間(一三三八~四一)、大泉坊、財泉坊、吉祥坊、多門坊等の六僧坊を建てさせ、近隣の武士・僧侶に大般若経六百巻の写経奉納を命じたという。この奉経は康安二年(一三六二)から文明九年(一四七七)の一一五か年間続けられ、「成木郷軍茶利」あるいは「武州杣保成木郷安楽寺」などの奥書が見られる。後、火災によって堂宇も什宝も大部分焼失。永禄年間(一五五八~六九)鎌倉の僧賢能が再興し中興開山一世となっている。寺宝として元亀二年(一五七一)小田原北条氏からの禁制状、天正十六年(一五八八)の北条氏直からの鐘借用状があり、ともに市有形文化財に指定されている。天正十九年、徳川氏から寺領七石の朱印状が寄せられ、江戸時代に入ると京都・仁和寺の直末として来院二十九か寺を統べる檀林となった。元禄六年(一六九三)十一世寛晃により十三間×七間半の現本堂(都有形文化財)が再建、その後、昭和五十二年から五十三年、五十七年から五十九年と二期にわたり、本堂・法堂・仁王門が修理された。宝暦六年(一七五六)経蔵造立。鐘楼には享保十六年(一七三一)鋳造の銅鐘がかかり、境内の 「やどり木の大杉」は都天然記念物に、寺城も都史跡に指定されている。二十九の末寺は市内八か寺、うち三か寺が現存。他は北多摩郡、埼玉県など広い地域に分布している。(「青梅市史」より)


安楽寺所蔵の文化財

  • 安楽寺境域(東京都指定史跡)
  • 安楽寺本堂(東京都指定有形文化財)
  • 元亀二年(一五七一)小田原北条氏からの禁制状
  • 天正十六年(一五八八)の北条氏直からの鐘借用状

安楽寺境域

安楽寺は、成木山愛染院と号し、和銅年間(七〇八~七一四)に行基が軍荼利明王を彫刻して一堂を安置したのが始まりとされます。源頼朝や足利尊氏や小田原北条氏らの尊信を集めました。徳川氏よりも寺領七石を賜りました。
現存する棟札によると、本堂は元禄六年(一六九三)に建立、須弥壇は元禄七年の建立となっています。境域はゆるやかな南斜面に立地し、本堂、仁王門、軍荼利堂、山門、通用門、鐘楼、宝塔、地蔵堂、大師堂などの建物とこれらを囲む山林などから構成されます。
本堂は都有形文化財(建造物)に指定されており、寄棟造、茅葺型銅板葺の八軒取りの方丈型本堂で、書院風建築です。また境内南端の本堂前にはと指定天然記念物の大スギがあります。
境内は本堂を中心とした一群とやや離れた仁王門と軍荼利堂からなりますが、旧態を良く留めています。(東京都教育委員会掲示より)

安楽寺本堂

この本堂は、桁行一二間(ニ四・五m)、梁間七間(一四・四八m)の大規模な建物です。屋根は寄棟造、茅葺型銅板葺になっています。八間取の方丈型本堂です。書院風建築で、現存する棟札によると、元禄六年(一六九三)に完成したことが明らかです。これは都内に現存する書院風本堂のなかでも最も古く、しかも古い様式を良く遺しています。『新編武蔵風土記稿』には「成木山愛染院と号す、本堂十三間に七間半、南向」と記されています。この記述は現存する本堂の規模と一致するところから、元禄以降は大きな改造がなされていないと思われます。なお、屋根はもと茅葺であったものを、昭和五一年(一九七六)、保存修理の際に茅葺型銅板葺に改めています。附で玄関、棟札が指定されています。(東京都教育委員会掲示より)

安楽寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「青梅市史」