星谷山真浄寺|大永年間開山、多摩八十八ヶ所霊場
真浄寺の概要
真言宗豊山派寺院の真浄寺は、星谷山明星院と号します。真浄寺は、良雅僧正が大永年間(1521-27)に開山したとと伝えられ、慶安2年には江戸幕府より寺領3石の御朱印状を拝領、塩船寺宜海の弟子慶俊が延宝5年(1677)に中興したといいます。多摩八十八ヶ所霊場44番です。
山号 | 星谷山 |
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院号 | 明星院 |
寺号 | 真浄寺 |
住所 | 青梅市谷野193 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
真浄寺の縁起
真浄寺は、良雅僧正が大永年間(1521-27)に開山したとと伝えられ、慶安2年には江戸幕府より寺領3石の御朱印状を拝領、塩船寺宜海の弟子慶俊が延宝5年(1677)に中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による真浄寺の縁起
(谷野村)眞浄寺
星名山明星院と號す、新義真言、鹽船寺の末、寺領三石の御朱印を附せらる、その御朱印には入間郡とあり、されど正保年中の地圏に多磨郡にいり、今も同じければ入間郡といふもの疑ふべし、本尊虚空蔵木の坐像長六寸五分、運慶作、又鉄像の彌陀あり、別に蔵めて寺寶となす、これは唐佛なりと云。
本堂。八間に五間半南向。
護摩堂。三間四方東向。
表門。八尺に九尺南向、側に時雨櫻といへる名木あり、近き比日野大納言資枝卿の詠に、櫻花梢の雫落しより幾代時雨の名にやありけん。
辨天祠。一間半に二間の覆屋東向、神體長三寸、境内の鎮守。
蔵王権現社、愛宕社。共に小社にして境内にあり。(新編武蔵風土記稿より)
「青梅市史」による真浄寺の縁起
真浄寺(星谷山明星院)
谷野にあり、本尊は虚空蔵菩薩である。大永年間(一五二一~二七)良雅僧正の開山と伝え、慶安二年、寺領三石の朱印状が寄せられた。延宝五年(一六七七)塩船寺宜海の弟子慶俊により中興され、これより同寺の末となった。寛政のころ(一七八九~一八〇〇)歌人で有名な浄月律師が住し、このころ不動堂、薬師堂、十王堂が建立され境内が整備された。さらに昭和五十年、本堂を鉄筋コンクリート造に建換え、平成四年には客殿・庫裡を建換えた。門前に名木「時雨桜」とゆかりの日野大納言の碑、一方に大きく梵字「阿」を刻んだ「難波江の岸にしげれることの業もおもへばあしのひともとにして」という浄月の辞世の碑が建っている。(「青梅市史」より)
真浄寺所蔵の文化財
- 時雨桜の碑
時雨桜の碑
武州入間郡杣保内谷村
真浄寺門前に時雨桜
二樹あり資枝に歌よめといいしかば
さくら花 梢のしづく おつるより 幾世しぐれの 名にやふりけむ 従一位資枝
「従一位資枝」は京都の公卿「日野資枝」のことで、浄月律師の歌の師である。
この碑が、いつ、誰によって立てられたものかは明らかではない。
歌は前書にあるように門前にあった名木「時雨桜」を日野資枝卿が詠み、浄月律師に贈ったものである。(青梅市教育委員会掲示より)
真浄寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「青梅市史」