郷地稲荷神社|天文年間に勧請
郷地稲荷神社の概要
郷地稲荷神社は、昭島市郷地町にある神社です。郷地稲荷神社は、天文年間(1532-1555)祭神を当地に勧請、元和元年(1615)の再建と伝えられるといい、昭和30年まで神饌幣帛料が奉納されていたといいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 宇迦御魂命 |
相殿 | - |
境内社 | 日枝神社 |
住所 | 昭島市郷地町1-12-1 |
祭日 | 8月第三日曜日 |
備考 | - |
郷地稲荷神社の由緒
郷地稲荷神社は、天文年間(1532-1555)祭神を当地に勧請、元和元年(1615)の再建と伝えられるといい、昭和30年まで神饌幣帛料が奉納されていたといいます。
新編武蔵風土記稿による郷地稲荷神社の由緒
(郷地村寶積寺内)
稲荷社。小社。
山王社。ともに小社。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による郷地稲荷神社の由緒
創立年紀は詳でないが、天文年間(一五三二-五五)祭神を当地に勧請し、元和元年(一六一五)再建したものと伝わる。(東京都神社名鑑より)
「昭島市史」による郷地稲荷神社の由緒
稲荷神社(郷地町)
宇迦之御魂命を祭神とするこの神社は、明治四〇年五月に明治政府から村内唯一の供進神社として指定され、昭和三〇年まで毎年幣帛使の参拝があり、神饌幣帛料が奉納されていた由緒をもっている。創建の年代は明確ではないが、隣接の宝積寺との関係などから、天文年間(一五三二~一五五四)頃に勧請されて、元和元(一六一五)年に再建されたと伝えられている。江戸時代初期の郷地は、宝積寺に遺る過去帳からみても、三〇戸内外の村落であることから、元和年間の再建は小祠とみて良いであろう。その後の経過についても不明であるが、『新編武蔵風土記稿』には「小社」と記されているように、近世の末頃には神社としての体裁を整えていたと思われる。拝殿の天井に八方にらみの竜と左右に二天女が描かれていて、「嘉永二酉中冬 紅林良山」筆と記された装飾があったが、この頃改築が行われたのであろう。その後、昭和一〇年に改造されたが、昭和三四年九月の台風の際にケヤキの大枝が倒れ社殿が倒壊したため、昭和三六年九月に再建したのが現在の稲荷神社である。
境内には樹令四〇〇年と言われている、幹の周囲七メートルの大ケヤキがあり、神木とされ現在では昭島市の指定文化財となっている。また、末社として日枝神社(祭神犬山咋命)が鎮座している。毎年九月一九日が例祭の日であり、賑わいをみせている。(「昭島市史」より)
郷地稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 「昭島市史」