中神熊野神社|延文5年に篠為右衛門の先祖が熊野神社から分霊を勧請
中神熊野神社の概要
中神熊野神社は、昭島市中神町にある神社です。中神熊野神社は、延文5年(1360)に篠為右衛門の先祖が熊野神社から分霊を勧請奉斎したといい、江戸期には中神村の鎮守社だったといいます。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊弉冊命、速玉之男命、事解男命 |
相殿 | - |
境内社 | 床浦神社、八坂神社、御嶽神社、大杉神社、稲荷神社 |
住所 | 昭島市中神町1-12-7 |
祭日 | 8月第三日曜日 |
備考 | - |
中神熊野神社の由緒
中神熊野神社は、延文5年(1360)に篠為右衛門の先祖が熊野神社から分霊を勧請奉斎したといい、江戸期には中神村の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による中神熊野神社の由緒
(中神村)熊野権現社
社地除、五段餘、外に免田二段十二歩、二間半に五間の覆屋、拝殿その中にあり、祭神伊弉冊尊、前に兩扣の鳥居を建つそれより石階二つを経て社頭に至る、村内の鎮守なり、吉田派の神職宮崎上総の持。(新編武蔵風土記稿より)
東京都神社名鑑による中神熊野神社の由緒
後村上天皇の延文五年(一三六〇)、紀伊国熊野本宮の分霊を勧請したもので、以前は熊野大権現と称したが、明治二九年四月二十一日熊野神社と改称した。現在の社殿は嘉永五年(一八五二)に当所の豪商中野久次郎が私財を投じて再建したものである。(東京都神社名鑑より)
「昭島市史」による中神熊野神社の由緒
熊野神社(中神町)
伊弉冉尊、速玉之男命 事解男命を祭神とするこの神社は、延文五(一三六〇)年篠為右衛門の先祖が伊勢参宮の帰路に紀伊国の熊野本宮に立寄り、熊野神社から分霊を勧請奉斎したことに始ると伝えられている。かつては、「熊野大権現」「熊野大神」と称していたが、明治二九年四月二一日熊野神社と改称した。境内には末社として稲荷神社、八坂神社、床浦神社がある。
現在の社殿は嘉永五年(一八五二)に中野久次郎が再建奉納したものである。
なお、祭礼に奉納する獅子舞は三五〇年の伝統があるといわれ、市指定無形民俗文化財に指定されている。獅子舞についての詳細は民俗芸能の章を参照されたい。また、境内には幹の周囲七メートル、高さ四五・五メートルの大いちょうの木があり、樹令四〇〇年と言われ、市の天然記念物となっている。(「昭島市史」より)
中神熊野神社所蔵の文化財
- 中神熊野神社の大いちょう(昭島市指定天然記念物)
- 中神熊野神社の獅子舞(昭島市指定無形民俗文化財)
中神熊野神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑
- 「昭島市史」