平井八幡神社|西多摩郡日の出町平井の神社

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平井八幡神社|西多摩郡日の出町平井の神社

平井八幡神社の概要

平井八幡神社は、西多摩郡日の出町平井にある神社です。平井八幡神社の創建年代等は不詳ながら、承平5年(935)の平将門の乱に際して藤原忠文が参詣したと伝えられ、建永元年(1206)当地へ遷座したといいます。新編武蔵風土記稿では、当時残されていた棟札の記載から、平山景時が明徳元年(1390)に創建、その後も平山家がしばしば再興したと、記載しています。

平井八幡神社
平井八幡神社の概要
社号 平井八幡神社
祭神 誉田別命
相殿 -
境内社 -
住所 西多摩郡日の出町平井1811
祭日 例大祭9月15日
備考 -



平井八幡神社の由緒

平井八幡神社の創建年代等は不詳ながら、承平5年(935)の平将門の乱に際して藤原忠文が参詣したと伝えられ、建永元年(1206)当地へ遷座したといいます。新編武蔵風土記稿では、当時残されていた棟札の記載から、平山景時が明徳元年(1390)に創建、その後も平山家がしばしば再興したと、記載しています。

新編武蔵風土記稿による平井八幡神社の由緒

(平井村)
八幡社
除地、三段四畝九歩、社地二十歩餘、小名和田にあり、五尺に七尺の社にて前に拝殿を建つ、四間に五間、棟札の文によれば、當社は平山景時明徳元年創建する處にして、その後子孫平山出羽守等しばしば再興し、御入國の後も正保四年元禄九年打續きて再興ありしといへば、古き社なることしらる、神體は木にて作りし衣冠單騎の像なり、例祭年々八月十五日、神主和田隼人持、隼人は吉田家の門流五日市村有竹右京が配下なり、
末社。稲荷社、疱瘡神牛頭天王相社(新編武蔵風土記稿より)

「東京都神社名鑑」による平井八幡神社の由緒

もと本宿山獄の上に鎮座、勧請年代は不詳。承平五年(九三五)の平将門の乱平定の勅命を受けた藤原忠文が、派兵の途次に参指した史伝がある。現在地に建永元年(一二〇六)遷所。明地元年(一三九〇)再築。正保三年(一六四六)再建。元禄九年(一六九六)御神体再興現在に至る。その間、和田義盛子孫の和田太郎源義直以下、鈴木克一まで四十代続く宮司がこれを祀る。(「東京都神社名鑑」より)


平井八幡神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 東京都神社名鑑