平井春日神社|西多摩郡日の出町平井の神社
平井春日神社の概要
平井春日神社は、西多摩郡日の出町平井にある神社です。平井春日神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊の東征に際して立ち寄られた地だと伝えられ、日奉森明が大己責命を祀り千石大明神と称したといいます。坂上田村麻呂や源頼朝も当社に戦勝祈願、江戸期には村の鎮守社として祀られ、明治6年に春日神社と号したといいます。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | 武甕槌命、大己貴命、天児屋根命、斎主命 |
相殿 | 水波能売神、鳴雷神 |
境内社 | 八雲八坂神社、伊勢神社、稲荷神社、天満天神、琴平神社、雨宮神社、疱瘡神社、招魂社 |
住所 | 西多摩郡日の出町平井3690 |
祭日 | 例大祭9月26日 |
備考 | - |
平井春日神社の由緒
平井春日神社の創建年代等は不詳ながら、日本武尊の東征に際して立ち寄られた地だと伝えられ、日奉森明が大己責命を祀り千石大明神と称したといいます。坂上田村麻呂や源頼朝も当社に戦勝祈願、江戸期には村の鎮守社として祀られ、明治6年に春日神社と号したといいます。
新編武蔵風土記稿による平井春日神社の由緒
(平井村)
春日社
社地、三段餘、小名仙石にあり、本社一間に九尺、覆屋五間半に三間、祭神詳ならず、馬頭觀音の坐像長七寸許なるを安ず、村の鎮守にして例祭六月十五日九月廿九日なり、此社往古は千石明神と唱へしよし、棟札を以てしらる、按ずるに社號によつて此所の小名を仙石と唱へしにや、又は地名によりて社號とせしことにや、執れが是なることを知らず、神名には千石と書せしが、地名には仙石と書す、後世あらためしものなるべし、其昔は常福院と云し修験の持なりしが、廢せし後その遺蹟左に出せる常福寺なるもの、今に社務を司どれり、棟札の寫左にのす、(棟札文省略)
この餘當村の里正七郎右衛門が許に、當社の古棟札の寫しと云ものあり、疑はしきものなれど姑く左にしるせり(省略)(新編武蔵風土記稿より)
「東京都神社名鑑」による平井春日神社の由緒
日本武尊が征夷の時当地に立寄ったと伝えられている。村首日奉森明が、成務天皇の勅命により大己責命を祀り、千石大明神と称した。延暦十年(七九一)、日奉森栄が官命を受けて、武甕槌命、斎主命、天児屋根命を合祀。同代蝦夷が再度反したため坂上田村麻呂が当社に戦勝を祈願し、征夷帰朝のさい、宝物神鏡等を、また治承四年(一一八〇)十月、源頼朝が当社に祈願、戦功を得て奉賽に土地、鳥居等を寄進。また、勧請の棟札には天文十五年(一五四六)造営とある。旧社叫すを春日大明神と称し、明治六年春日神社と改めた。同十五年村の大火により社殿焼失。本殿灰燼中に馬頭像一体があって現存。同二十年四月社殿再建。(「東京都神社名鑑」より)
平井春日神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 東京都神社名鑑