羽黒三田神社|西多摩郡奥多摩町氷川の神社

猫の足あとによる多摩地区寺社案内

羽黒三田神社|平将門十六世の孫、三田弾正忠次秀が社殿を再興

羽黒三田神社の概要

羽黒三田神社は、西多摩郡奥多摩町氷川にある神社です。羽黒三田神社は、貞観2年(860)出雲国の人、土師連行行基が東国に下向し、御嶽山に詣り神告を得て当地に高皇産霊神、少彦名神の二神を祀り、穴澤天神と号したといいます。平将門の子良門が軍を起こした際には八角の鏡を奉納、永享6年(1434)に元巣の森鎮座の羽黒大神を合祀して羽黒大権現と称したといいます。永正元年(1504)には平将門十六世の孫、三田弾正忠次秀が社殿を再興して扁額を奉納しています。

羽黒三田神社
羽黒三田神社の概要
社号 羽黒三田神社
祭神 高皇産霊神、少彦名神、稲倉魂命、天穂日命
相殿 -
境内社 鹿島神社、両輪神社、八幡神社、立野神社、山祇神社、琴平神社、菅原神社、出雲神社、榛名神社
住所 西多摩郡奥多摩町氷川1365
祭日 例大祭8月10日
備考 -



羽黒三田神社の由緒

羽黒三田神社は、貞観2年(860)出雲国の人、土師連行行基が東国に下向し、御嶽山に詣り神告を得て当地に高皇産霊神、少彦名神の二神を祀り、穴澤天神と号したといいます。平将門の子良門が軍を起こした際には八角の鏡を奉納、永享6年(1434)に元巣の森鎮座の羽黒大神を合祀して羽黒大権現と称したといいます。永正元年(1504)には平将門十六世の孫、三田弾正忠次秀が社殿を再興して扁額を奉納しています。

新編武蔵風土記稿による羽黒三田神社の由緒

(氷川村)羽黒権現社
除地一段二畝二十七歩、小名南にあり、往来の傍に鳥居を立、前に石階あり、ここを入て、
五町許にして本社にいたる、鳥居と石階との間に二間に四間の随身門を建てり、本社東向、一丈二尺四方、拝殿四間に二間、祭神は倉稲魂命なり、社内に穴澤天神を合せ祭れり、この祭神は高皇産靈尊・天穂日命にて、八角鏡を神體とするよし、當社の神主河邊伊織が家にこゝの社の略記を納めたり、それを閲するに貞観二年土師朝臣行基といへるが、穴澤天神とは崇めたるよし、その後天慶年中平将門の子良門が軍を起せしとき、故有て八角の鏡をこの社へ納めしと云は、今の神體なるべし、後又永正元年に将門十六世の孫、三田弾正忠平次秀祈願のことありて、社を改め作れるよし、穴澤社は式内の神社なれども、郡中矢ノ口、棚澤の二村及びこゝにもその名あり、その内いづれの社式内なるべきや定かならず、猶かの村に幷せ見るべし、是より以前後宇多帝の御宇、建治三年出羽國羽黒山の神を、この邊元巣ノ森と云所に祭りして、永禄九年六月穴澤天神の社内に合せ祭れるよしをいへり、されど今は羽黒権現を本殿とし、穴澤天神を合殿せりと、例祭六月十五日、神主河邊伊織。(新編武蔵風土記稿より)

「奥多摩町史」による羽黒三田神社の由緒

「羽黒三田神社明細帳」(明治十二年書土)にもこれとほぼ同様の記述があり、穴沢天神は一に「調布郡祖の社」と称したとあります。宝永二年(一七〇五)、安永九年(一七八〇)の両度社殿を再建し、明治三年、羽黒山、穴沢天神両者を併せて羽黒三田大神とし、同九年、更に羽黒三田神社と改称したとあります。なお三田弾正忠次秀奉納の扁額の文は次のとおりです。
武蔵国多西郡川辺神社羽黒山ニ座(武蔵国多西郡川辺神社羽黒山に座す)
穴沢天神起立者人皇五十六代(穴沢天神の起立は人皇五十六代)
清和天皇御宇貞観三辛巳中穐十五日(清和天皇御宇の貞観三辛巳八月十五日)
祭主土師行基雨請祭日請祭阴阳行儀(祭主土師行基雨請いの祭り日請いの祭り陰陽の儀を行い)
勧請羽黒者協宮氷川陰宮也各川隔(勧請す羽黒は陽の宮氷川は陰の宮なり各々川隔たりて)
鎮座云云去々甲子年天下一統之凶穀(鎮座すしかじか一咋甲子の年天下一統の凶穀により)
民飢饉早速五穀成就而可豊熟守護(民飢鐘す早速五穀成就して豊熟守護し奉るべく)
寄祈願成就者領内為惣鎮守永社頭(祈願を寄せ成就せば領内の惣鎮守と為し永く社頭)
可造営之条奉願書今年豊熟志願(造営すべきの条願書を奉り今年豊熟志願)
依成就加神地奉鎮祭記者也(成就により神地を加え鎮祭肥奉るものなり)
于時永正丙寅年弾六月十五日(時に永正三丙寅年六月十五日)
三田弾正忠 平次秀敬白
以上の記録によって羽黒三田神社の性格がわかります。穀霊の神と穴沢天神から平将門の後裔という三田氏と羽黒派修験道がからみ合って明治維新を迎えたのです。ここで一つ疑問に思われるのはこの社前に摂社格と見える「双馬神厩」と呼ぶ社のあることです。これは風土記稿にも明細帳にも載っていませんが社殿内に二駆の木彫馬と「馬」の文字を陰刻した二枚の扇平形の石が奉納されていて、馬の神様といわれていますが、羽黒三田神社が平良門の鏡奉納といい、三田弾正の遍額といい平将門-その後裔三田氏との関係を強調するところから考えると、双馬神厩創建の始めは平将門を肥った「相馬宮」ではなかったでしょうか。ここは平将門の伝説地、絹笠、城、三ノ木戸、六ツ石、七ツ石の登山口に当ります。(「奥多摩町史」より)

「東京都神社名鑑」による羽黒三田神社の由緒

創立は社記によると清和天皇の貞観二年(八六〇)出雲国の人、土師連行行基が東国に下向し、御嶽山に詣り神告を得て当地に高皇産霊神、少彦名神の二神を祀り、穴澤天神と号した。また本社南の山林裏に川辺の神社と称して天穂日命を祀る一個の清泉湧き出でる洞穴がある。この社と村内元巣の森鎮座の羽黒大神を永享六年(一四三四)に合祀して、羽黒大権現と称した。のち成良親王が神地を寄付し、永正三年(一五〇六)六月将門十六世の孫、三田弾正次秀が社殿を再建、領内総鎮守とした。明治三年この両社をあわせて羽黒三田神社と改め、同二十二年社殿を再建した。(「東京都神社名鑑」より)


羽黒三田神社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 奥多摩町史
  • 東京都神社名鑑