元栖神社|西多摩郡奥多摩町白丸の神社

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元栖神社|白丸が村として成立した頃に有力者個人の守護神

元栖神社の概要

元栖神社は、西多摩郡奥多摩町白丸にある神社です。元栖神社の創建年代等は不詳ながら、東京都神社名鑑では「白丸が村として成立した頃に有力者個人の守護神」として祀られたのではないかといいます。奥多摩町史では、「元栖の栖(巣)とは鳥が卵を生んで雛を育てるところですが、古代には神殿のことを巣と呼んで」おり、祭神が男根と関係のある猿田彦命であることから、子孫繁栄を願って祀られたのだろうといいます。

元栖神社
元栖神社の概要
社号 元栖神社
祭神 猿田彦大神
相殿 -
境内社 熊野神社
住所 西多摩郡奥多摩町白丸100
祭日 例大祭1月15日、8月第二日曜日
備考 -



元栖神社の由緒

元栖神社の創建年代等は不詳ながら、東京都神社名鑑では「白丸が村として成立した頃に有力者個人の守護神」として祀られたのではないかといいます。奥多摩町史では、「元栖の栖(巣)とは鳥が卵を生んで雛を育てるところですが、古代には神殿のことを巣と呼んで」おり、祭神が男根と関係のある猿田彦命であることから、子孫繁栄を願って祀られたのだろうといいます。

新編武蔵風土記稿による元栖神社の由緒

(白丸村)元抦明神社
年貢地二間半に三間、これも村の中程にあり、拝殿二間に三間半、例祭正月廿日・六月十五日の兩日獅子舞をなせり、これも村民の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

「奥多摩町史」による元栖神社の由緒

元栖神社
元栖神社は白丸の鎮守神で祭神は猿田彦命(寛政十一年の文書には太田命を祝い祭るとある『太田神社の祭神は猿田彦命』)、例祭は八月第三日曜日です。
『武蔵風土記』に「年貢地二間半に三間、これも村の中程にあり、拝殿二間に三間半、例祭正月廿日・六月十五日の兩日獅子舞をなせり、これも村民の持なり」とだけ記述され、このほかには沿革のわかる文書はありません。ことに嘉永六年(一八五三)の大火によって一物も残さず焼失したためこれを知る手掛かりがないのです。『白丸村地誌』にはこの社の項に次の金石物を挙げています。
石劔二箇 一ハ長サ壱尺壱寸五分回リ壱尺、焼失ノトキ七ツトナレリ 一ハ長サ一尺四寸回り壱尺壱寸、コレモマタ折レテ二ツトナリタリ
鰐口 壱、径リ六寸七分、表ニ武刕三田領白丸村 稲荷大明神鰐口 万治己亥二月吉日 為月待供養也ト記シ 裏ニ大工加藤五郎右衛門トアレバモトハ当社ノモノニアラズ 今何処ノ稲荷社ノモノナルカヲ詳カニセズ
二箇の石劔とはその形状からして石神で、これを石劔と表現したのは神道家であり国学者であった地誌の筆者が荘重に表現したものと思われ、猿田彦命を祭神とする所以もうなずかれます。
月待供養の鰐口は町内他に例を見ません。月待供養の金石物としては文明年間の銘を持つ板碑があり、さらにずっと下って江戸末期から廿三夜塔の造立が盛んに行われるのですが、この鰐口は江戸初期に当る万治二年(一六五九)の銘を持ちますので、室町期の板碑と江戸末期の廿三夜塔の中間を連結しで月待供養の歴史につながりをつけているわけです。
元栖神社が稲荷大明神の鰐口を懸けるのは嘉永六年の火災によって同じく焼失した稲荷社のものを懸けることになったのでしょう。元栖神社という社号も特異です。ここにはこのような地名もなくてこの社号があるのです。元栖という地名は近い所では富士五湖の一つとして本栖湖があり、町内氷川には元巣の森があります。ここには現在稲荷社が祭られていますが、室町時代以前はここに羽黒権現が祭られていたのです。
茨城県の水郷地帯下流の神栖町の息栖神社は元栖神社と同じく猿田彦命を祭り、その鳥居は水中に立ち、氷川の元巣の森の中には清水が湧出しているのです。
本栖湖、息栖神社、元巣の森、いずれも森と水に縁のある神様です。元栖の栖(巣)とは鳥が卵を生んで雛を育てるところですが人間世間ではお産をするところを指し、古代には神殿のことを巣と呼んでいました。
森に囲まれた清水や湖は女神を象徴するものでしょうし、そこに祭られる神が男根と関係のある猿田彦命ということになりますと、この元栖神社は神さまと人間ともどもの弥栄を寿ぐ神さまといえましょう。(「奥多摩町史」より)

「東京都神社名鑑」による元栖神社の由緒

創建年代不詳。江戸時代以前、白丸が村として成立したころ、有力者個人の守護神であったと思われる。現在は白丸住民の信仰ん中心として、ことに八月の祭礼には獅子舞が盛大に奉納される。(「東京都神社名鑑」より)


元栖神社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 奥多摩町史
  • 東京都神社名鑑