丹生神社|西多摩郡奥多摩町丹三郎の神社

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丹生神社|丹党の原嶋丹三郎友連が丹生明神を勧請

丹生神社の概要

丹生神社は、西多摩郡奥多摩町丹三郎にある神社です。丹生神社の創建年代等は不詳ながら、丹党の原嶋丹三郎友連が、その祖で高野山を開き高野山の地主神として祀った丹生明神を当地に勧請、江戸期には丹三郎村の鎮守社だったといいます。

丹生神社
丹生神社の概要
社号 丹生神社
祭神 丹生都比売命
相殿 -
境内社 稲荷神社、山祇神社、菅原神社、菊理姫命社、水神社、弁天社
住所 西多摩郡奥多摩町丹三郎182
祭日 例大祭8月7日前後の日曜日
備考 -



丹生神社の由緒

丹生神社の創建年代等は不詳ながら、丹党の原嶋丹三郎友連が、その祖で高野山を開き高野山の地主神として祀った丹生明神を、当地に勧請、江戸期には丹三郎村の鎮守社だったといいます。

新編武蔵風土記稿による丹生神社の由緒

(丹三郎村)
丹生明神社
除地、三十坪、村の中ほどにあり、鎮座の年歴は詳ならざれど、當社は里正新三郎が先祖、原嶋丹三郎友連なるもの、かの遠祖を祝ひ祀りしなりといへり、この友連は文明八年に生れ、天文十九年卒したれば、時代大抵おしてしらる、村の鎮守なり、祭神は罔象女命なるよしいへど定かならず、按に丹治直人は宣化天皇の皇子、賀美惠波王の後裔なれば、友連が太祖を罔象女命と云はうけ難し、丹生明神の祭神は丹生津姫神とも傳へらり、もししからんには罔象女の命は末社水神の祭神なるを混じて混じてあやまれるか、例祭正月七日七月七日、小丹波村神職丹生顯司が兼帯の持、社前に拝殿有二間に三間。
末社。稲荷社、水神社、疱瘡神社。各小祠。(新編武蔵風土記稿より)

「奥多摩町史」による丹生神社の由緒

丹生神社
「丹生神社」とは本町以外の多摩地方では聞きなれない神名です。正しくは「にぶ神社」と呼びますが、この地方では一般に「たんしよう神社」と呼びます。この社は武蔵七党の一、丹党一族の祖神を祭る神さまですから丹党一族の勢力地帯であった秩父、入問、児玉の各地には祭られていますがその他の地方には一般的に祭られていません。
本町に同姓の多い原島氏はこの丹党の出自といわれ、そのため丹三郎、小河内、日原、小丹波等原島一族の勢力地域にこの神が祭られているのです。
『武蔵名勝図会』丹三郎村丹生神社の項に「明応年中、丹三郎友連が勧誘する社なりといふ。按ずるに原島氏は丹の党より出で丹治姓なるゆえ祖神を祭りしことにぞ。この辺より西に至る村々の里長は原島氏のもの多し、依って村々にこの神社を祭る。」とあり、また『武蔵風土記』小丹波村の項に「茲の丹生の社は古へ丹治氏宮内卿家義と云ふ人、弘法大師を導て高野山を開く。後此人を祀りて高野山地主神とし丹生明神と号す。」とあります。
ところで丹生神社の本地、紀伊国高野山鎮座の丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ)は狩場神社と併座されていますが、日原の丹生神社、狩場神社も同様です。小丹波熊野神社境内の丹生神社は狩場神と天照大神が同一覆舎に併座され、小丹波原島氏の邸内社の丹生神は狩揚神、八幡神と同一祠内に同座されています。
丹生神社は高野山の丹生都比売神を勧請されたものですから勿論その祭神は丹生都比売神ですが、過去においては天大神と見られていた節もあり、また水神の弥都波能売神(みずはのめのかみ)と併祭されてもいました。丹三郎の丹生社は弥都波能売命、小丹波の同社は天疎向津比売命(あまさかるむかつひめのみこと)、日原の社は天疎向津姫命と弥都波能売命が併祭されていました。
天疎向津比売命は正しくは撞賢木厳之御魂(つきさかきいずのみたま)天疎向津比売命といわれ、神功皇后の御代に出現された神さまです。この神は熊襲征討に向う仲哀天皇に対し、「三韓征討を先に行えば熊襲は戦わずして服属する」と神告されるのですが、天皇はこれを用いずして敗死され、神功皇后はこの教えに従って三韓を帰属されたと伝えますが、そのときこの神は「神風の伊勢の国の百伝ふ度逢県の拆鈴の五十鈴の宮に居る神」と御本地を明かされていますから天照大神の荒魂(厳之御魂)であることがわかります。丹生都比売命はこの天照大神のまたの御名とも見られます。
弥都波能売命は罔象女命とも書かれますが、この神は大和国、丹生川上神社の中社の祭神で水神として知られます。
(中略)
丹三郎の丹生神社はこれも集落中央の字水神に鎮座します。ここの小字名を「水神」と呼ぶのは(境内社として水神社もありますが)やはり丹生神社を原島一族の祖神とすると同時にこの神を水神として崇めた時代もあったのではないでしょうか。このほか境内社として菅原社、八幡社、稲荷社、市杵島社、疱瘡神が祭られています。このうち、市杵島社は町内他に見当りませんので若干説明を加えます。市杵島姫命は宗像三神の一神で、多紀理姫命、多岐都姫命とともに古代から朝鮮海峡の要所に祭られた神ですから神功皇后の三韓進攻に関係があり、また水神でもありました。なお市場の神とされ、さらには弁才天と習合される神でもあります。
社地は小規模ながら森の風情があり、隣地には生活館や水泳プールが建設されています。(「奥多摩町史」より)

「東京都神社名鑑」による丹生神社の由緒

もと丹生明神と称した。創建は永正年間(一五〇四-二一)、原島丹三郎丹治友連が本村開拓の時、丹治比氏の産土神として勧請した。のち享保十五年(一七九二)六月、原島丹治右衛門友仙らが再営。明治三年現社号に改めた。(「東京都神社名鑑」より)


丹生神社の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 奥多摩町史
  • 東京都神社名鑑