佛石山西光寺|多摩八十八ヶ所霊場55番
西光寺の概要
真言宗豊山派寺院の西光寺は、佛石山宝蔵院と号します。西光寺の創建年代等は不詳ながら、中世の創建と伝えられ、天正年間に罹災し、古記録を失ってしまったといいます。元禄15年(1702)に西福寺から法流相続を受けて僧秀延が中興したといいます。多摩八十八ヶ所霊場55番です。
山号 | 佛石山 |
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院号 | 宝蔵院 |
寺号 | 西光寺 |
住所 | 西多摩郡日の出町平井2145 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西光寺の縁起
西光寺の創建年代等は不詳ながら、中世の創建と伝えられ、天正年間に罹災し、古記録を失ってしまったといいます。元禄15年(1702)に西福寺から法流相続を受けて僧秀延が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による西光寺の縁起
(平井村)
西光寺
境内除地、一段五畝十二歩、本宿の西側にあり、佛石山寶蔵院と號す、新義眞言宗、大久野村西福寺末、當寺は古の創建なるよし云傳へたれど、天正年中回録にかゝりて、舊記を失ひたれば、其詳なることはすべて知べからず、住持世代の内に法印清譽天正十二年十二月八日寂すといへば、これより前の寺なることしらる、中興の開山は秀延と云僧なるよし、此人は寶永四年十月廿八日示寂せり、本堂七間に五間、本尊不動の木像長一尺なるを安ず、
阿彌陀堂。境内に入て右の方にあり、二間四方の堂にして、本尊は木の立身なり、いかなる故にや此彌陀別に九畝十八歩の免除地あれば、古き堂とは見えたり、(新編武蔵風土記稿より)
「日の出町史」による西光寺の縁起
残りの他宗派の寺院五か寺は、大久野村の真言宗、西福寺の末寺である。中心は西本宿の西光寺で、山院号を仏石山宝蔵院と称した。中世末に僧清誉により創建されたと伝えられ、本尊の木造不動三尊像は桃山期の作と推定される。元禄十五年(一七〇二)に僧秀延により、西福寺から法流相続を受けて中興された。元治元年(一八六四)の門末座階の議定によれば、西光寺は右第一席に位置付けられるなど、西福寺末寺のなかでも高い寺格を誇っていた(「日の出町史」より)
西光寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「日の出町史」