長福寺|西豪士原島新左衛門友宗が開基、奥多摩新四国霊場八十八ヶ所
長福寺の概要
真言宗豊山派寺院の長福寺は、金慶山仙僧院と号します。長福寺は、秀慶和尚(慶長4年1599寂)を勧請開山として、当地の豪士原島新左衛門友宗が開基となり寛永9年(1632)に創建、現在は即清寺が兼帯しているといいます。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所39番です。
山号 | 金慶山 |
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院号 | 仙僧院 |
寺号 | 長福寺 |
住所 | 西多摩郡奥多摩町丹三郎233 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
長福寺の縁起
長福寺は、秀慶和尚(慶長4年1599寂)を勧請開山として、当地の豪士原島新左衛門友宗が開基となり寛永9年(1632)に創建、現在は即清寺が兼帯しているといいます。
新編武蔵風土記稿による長福寺の縁起
(丹三郎村)長福寺
除地一段三畝、境内二十坪、村の中ほどにあり、金慶山仙僧院と號す、新義眞言宗、御嶽村世尊寺末、開山秀慶慶長四年十一月十七日示寂す、客殿四間に七間、本尊十一面観音木の坐像長一尺は寸なるを安す。(新編武蔵風土記稿より)
「奥多摩町史」による長福寺の縁起
金慶山仙僧院長福寺
新義真言宗即清寺(青梅市柚木)派、寛永九年(一六三二)七月の創建で開基はこの地の豪士原島新左衛門友宗、勧請開山は秀慶和尚(慶長四年寂)といわれ、除地屋敷一反三畝歩、本尊は十一面観世音木坐像、長さ五八センチメートル、ほかに不動明王木像四八センチメートル、一六センチメートルの二軀が安置されています。
もと御岳山世尊寺派だったが同寺の廃寺により、文化年代以後は即清寺派となり、明治初年既に無住で即清寺の兼帯となっています。明治年間焼失して本堂庫裡ともその後の再建になり、本堂は宝形造鉄板葺、庫裡は入母屋造妻入、昭和五十三年屋根替えを行ったが古式を残すため従前どおりの茅葺としました。
本町地内唯一の真言宗寺院であり、禅宗寺院では見られない護摩壇(護摩焚寵径三三センチメートル、内径二二センチメートル)が本堂の中央に設けられています。(「奥多摩町史」より)
長福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「奥多摩町史」