今宿神明社|旧称大六天社、今宿村の鎮守社
今宿神明社の概要
今宿神明社は、横浜市旭区今宿西町にある神社です。今宿神明社の創建年代等は不詳ながら、大六天社と称して鎮座、今宿村の鎮守社だったといいます。明治維新後に今宿村鎮守の神明社、及び稲荷社を合祀の上、神明社と改めたといいます。
社号 | 神明社 |
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祭神 | 天照大御神、国常立尊 |
相殿 | - |
境内社 | 日影稲荷社 |
住所 | 横浜市旭区今宿西町576 |
祭日 | 例大祭9月19日 |
備考 | - |
今宿神明社の由緒
今宿神明社の創建年代等は不詳ながら、大六天社と称して鎮座、今宿村の鎮守社だったといいます。明治維新後に今宿村鎮守の神明社、及び稲荷社を合祀の上、神明社と改めたといいます。
新編武蔵風土記稿による今宿神明社の由緒
(今宿村)
稲荷社
除地、一段許、村の坤の方にあり、一丈餘の石階を登り社に至る、社は二間に三間東向、前に木の鳥居を立、神體は長六寸ばかり、木の坐像なり、勧請の年代知らず、例祭九月二十九日、村内薬王寺持なり。
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神明社
見捨地、六畝、村の西にあり、これも社二間四方にて、南に向ふ、前に木の鳥居をたつ、村の鎮守なり、これも勧請の年代詳ならず、神體は長八寸許の立像なり、九月十九日を以例祭とす、本立寺の持。
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稲荷社
見捨地、三畝、村の北にあり、社は西向にして一間二尺に二間、まへに木の鳥居を立、神体は女體にして白狐に乗り、長七八寸ばかり、これも本立寺持。
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第六天社
見捨地、六畝、村の北にあり、當村の鎮守にして、神體は木の立像長一尺許、劔をたつさへたる状にて彩色の像なり、例祭六月六日、社は三間四方にて南向なり、前に木の鳥居をたつ、これも同寺(本立寺)の持なり。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による今宿神明社の由緒
往古は大六天社と称したが、寛政八年、今宿町三五二鎮座の神明社と合併し、社号を神明社と改め、拝殿を造営した。(「神奈川県神社誌」より)
「旭区郷土史」による今宿神明社の由緒
神明社(今宿西町576)
「風土記稿」には『村の鎮守、勧請の年代は不詳』とある。しかし、昭和二十一年の「境内地払い下げ申請書」の「由緒書」の欄に『寛政八辰歳五月吉祥日拝殿を建立伝ふ』ど記されており、御神体の蔵に「寛政八丙辰歳五月吉祥日」と書かれているので、寛政八年(一七九六)を創建の日とした。
現在、三社宮と呼ばれているのは、明治の初め、第六天社、稲荷社が合祀されたためである。(正式には大正二年日陰の稲荷社と鶴ケ峰の稲荷社が合祀され五社宮となったが、昭和三十九年に鶴ケ峰稲荷社を返還したため、四社宮である。)(「旭区郷土史」より)
今宿神明社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川県神社誌」
- 「旭区郷土史」