二俣川日吉社|二俣川村小名榛ケ谷の鎮守社
二俣川日吉社の概要
二俣川日吉社は、横浜市旭区さちが丘にある神社です。二俣川日吉社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代には榛谷氏の御厨が置かれていたことから、その頃からの鎮座ではないかといい、江戸期には二俣川村小名榛ケ谷の鎮守社だったといいます。
社号 | 日吉社 |
---|---|
祭神 | 大山祇命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | 横浜市旭区さちが丘5 |
祭日 | 例大祭9月14日 |
備考 | - |
二俣川日吉社の由緒
二俣川日吉社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代には榛谷氏の御厨が置かれていたことから、その頃からの鎮座ではないかといい、江戸期には二俣川村小名榛ケ谷の鎮守社だったといいます。
新編武蔵風土記稿による二俣川日吉社の由緒
(二俣川村)
山王社
除地、五畝、榛ケ谷の内北の方にて、これもわづかに高き所なり、その所の鎮守とす、社は二間に三間、巽向にて前に木の鳥居をたつ、石階そこばくあり、社地は松樹雑木等反保して森々たり、例祭年々九月十四日、長昌寺持。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川県神社誌」による二俣川日吉社の由緒
創立年代は不詳であるが、この地はもと都築郡幡屋郷に属し、古くは榛谷氏の御厨が置かれ、鎌倉時代の豪族榛谷氏の故地であった。その鎮守たる当社が古社なること論を俟たない。天保十四年九月二十八日現社殿を造営、後大正十四年九月に修築が行われた。(「神奈川県神社誌」より)
「旭区郷土史」による二俣川日吉社の由緒
日吉社(さちが丘5)
天保十四年(一八四三)滋賀県坂本の日吉神社からご身体の幣束を拝受して現在の奥殿へ安置した。(「旭区郷土史」より)
二俣川日吉社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川県神社誌」
- 「旭区郷土史」