香象院。横浜市保土ケ谷区岩間町にある高野山真言宗寺院

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普賢山香象院。東国八十八ヵ所霊場

香象院の概要

高野山真言宗の香象院は、普賢山と号します。香象院の創建年代等は不詳ながら、忠秀法印が天正11年(1583)に中興、元文年間(1736-1740)に当地に移転したといいます。明治6年(1873)には保土ヶ谷小学校の分校となっていました。東国八十八ヵ所霊場26番です。

香象院
香象院の概要
山号 普賢山
院号 香象院
寺号 -
本尊 -
住所 横浜市保土ケ谷区岩間町2-153
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



香象院の縁起

香象院の創建年代等は不詳ながら、忠秀法印が天正11年(1583)に中興、元文年間(1736-1740)に当地に移転したといいます。明治6年(1873)には保土ヶ谷小学校の分校となっていました。

新編武蔵風土記稿による香象院の縁起

香象院
帷子町の内にて海道より二十五間ほど引込てあり、古義真言宗久良岐郡太田村東福寺の末、在田山安楽寺と號す。開山忠秀法印天正11年起立す。本尊は不動の立像長、尺5寸ばかり。客殿は8間半に5間、門は海道の方にむかへり。
寺寶。愛染明王画像一幅 弘法大師の筆なりと云。
富士浅間社 境内に入て左の方にあり、9尺に2間、この社は芝生村の鎭守とする所なり。
阿弥陀堂 山下にて字岸の下にあり香象院の持。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿」による香象院の縁起

香象院
位置
香象院は普賢山と號し、保土ヶ谷區帷子町三千二百十八番地にある。境内は四百三十一坪。官有地。中區淸水町東福寺の末、寺格は十一等。武藏國弘法大師新四國八十八箇所靈場の第八十八番である。
沿革
創立の年代及び開山・開基は不詳。天正十一年、忠秀法印の中興した所である。新編武藏風土記稿には、忠秀法印の起立とある。古來、在田山香象院安樂寺と稱して居たが、第十四世歡暁の代、今の普賢山香象院に改めた。往昔は帷子町中通り邊に在つたが、元文年中、今の地に移り、舊地は今尙、元寺屋敷と呼んでゐる。元文五庚申年に、客殿を再建し、寶歴五乙亥年に、庫裡を建立し、明和五年に山門等を造立した。今の本堂は大正十五年十一月の再建で庫裡は同七年四月の改築である。昔は芝生村の淺間神社及び帷子町の神明宮の別當を兼帶して居たが、明治維新の際に分離した。又、境内に寶歴七年建立の富士淺間社及び嘉永三年霜月建立の淺間宮・寶藏等が在つたが、同時に廢絶した。
本尊
本尊は不動明王の立像、二尺五寸、慈覺大師の作と傅へられてゐる。脇本尊は如意輪觀世音菩薩の坐像、竝に弘法大師像である。(「横浜市史稿」より)

保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようによる香象院の縁起

開山の年代は不詳。保土ヶ谷宿で最大の寺子屋があり、明治6年(1873)に保土ヶ谷小学校の分校となった。保土ヶ谷郷土史家・磯貝正氏の功績を称えた碑がある。真言宗。(保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようより)


香象院の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿」