金巌山安楽寺。東国八十八ヵ所霊場
安楽寺の概要
高野山真言宗の安楽寺は、金巌山櫻壽院と号します。僧弘弁(天文4年1535年寂)が開山となり創建したといいます。東国八十八ヵ所霊場30番です。
山号 | 金巌山 |
---|---|
院号 | 櫻壽院 |
寺号 | 安楽寺 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
住所 | 横浜市保土ケ谷区西久保町120 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
安楽寺の縁起
安楽寺は、僧弘弁(天文4年1535年寂)が開山となり創建したといいます。当地にはかつて牛頭天王社(現橘樹神社)があったと伝えられています。
新編武蔵風土記稿による安楽寺の縁起
安楽寺
これも岩間町の内にて宿より東南の方に当れり。古義真言宗久良岐郡太田村東福寺末、金岸山櫻壽院と號す、開山僧弘弁は天文4年寂せり、客殿5間に7間すべて南向なり。本尊は弥陀坐像にして長1尺9寸許、又菊水觀音の像あり、立像3寸許、此は八幡の社地より出現すと云、境内つづきに居山1段9畝あり、
寺賓。翁面一枚。
秋葉社。境内の後の方石階の上にあり、神体白狐に乗たる像にて長3寸ばかり。
牛頭天王社。今は社なくして暫く仮殿に安ず。岩間町の鎭守にして昔はここに社ありしと云。承応4年4月社の草創ありしときの棟札あり、祭禮年々6月7日なり、神体は長9寸ばかりの立像なり。旅所四箇所下岩間町中の橋の際帷子橋のほとり神明の大門等にあり。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿」による安楽寺の縁起
安樂寺
位置
安樂寺は、金岸山櫻樹院と號し、中區久保町千百十九番地にある。境内は百三十三歩。南太田町東福寺の末寺で、寺格十一等地である。
沿革
天文の頃、弘辨の創起した所と云ふ。往時は外荒具と云ふ地に在つたと言ひ、同所に今も安樂寺大門の名を遺してはゐるが、移轉した年代は不明である。
寛永十年二月十五日議定の關東古義眞言宗本末帳に、太田鄕東福寺末、安樂寺寺内御免と見え、風土記に客殿五間に七間、すべて南向なりと載せてある。當寺の境内は、元、二段餘あつたが、昭和二年の市區改正に際し、道路新設の爲めに、一部を其用地に公收せられた結果、現在の百三十三坪となるに至つた。
本尊
本尊は阿彌陀如來の坐像、高一尺九寸許。(「横浜市史稿」より)
保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようによる安楽寺の縁起
開山は天文年間(1532~55)。本尊は阿弥陀如来。当時、境内にあった八幡社の泉から出現したと伝えられる掬水観音像が本堂内に安置されている。真言宗。(保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみようより)
安楽寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿」