星川山妙福寺。横浜市保土ケ谷区西谷町
妙福寺の概要
日蓮宗寺院の妙福寺は、星川山と号します。妙福寺の創建年代等は不詳ながら、隨泉坊日意が創建したとも寂静院日賢が開山したとも言います。
山号 | 星川山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙福寺 |
本尊 | 十界曼荼羅・日蓮聖人像 |
住所 | 横浜市保土ケ谷区西谷町655 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙福寺の縁起
妙福寺の創建年代等は不詳ながら、隨泉坊日意が創建したとも寂静院日賢が開山したとも言います。
新編武蔵風土記稿による妙福寺の縁起
(上星川村)妙福寺
年貢地、一段四畝、村の中央にあり、法華宗、相州愛甲郡金田村妙純寺末、星川山と號す、開山は寂静院日賢と云り、その寂年を傳へず、客殿五間に四間南向なり、本尊三寶を安ず、昔よりこの山上に小庵を立置しが、いつの頃か此所へ引て一寺とせり、船橋宗迪が采地にあり。
題目石碑。客殿に向て右の方山の半腹に立り、高さ九尺ばかり。(新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿」による妙福寺の縁起
妙福寺
位置
妙福寺は、星川山と號し、保土ヶ谷區上星川町六百五十五番地に在る。境内は二百三坪。縣下愛甲郡依知村妙純寺の末で、寺格は平僧八等である。
沿革
創立年代は詳でない。開基初祖を隨泉坊日意と云ふ。風土記稿には寂靜院日賢とあつて、寂滅の年月不明である。元祿の頃、養泉院日脫(元祿十二年二月十六日寂。)住して、荒廢した堂宇を再興した。口碑に據れば、古は山上に小庵が在つたを、いつの頃か今の地に移し、一寺としたと云ひ傳へてゐる。然るに第三十七世日壽の代、明治十年八月三十一日、災厄に罹つて灰燼に歸したが、同年十二月本堂、同十七年庫裡を再建した。其れが今の堂宇である。災厄の砌、舊記等も悉く失はれ、由緖等不明となつた。其後再び荒廢に歸したを、現住光尊が修覆を加へ、今日の觀あるに至らしめた。
本尊
本尊は十界曼荼羅・宗祖日蓮大菩薩である。(「横浜市史稿」より)
妙福寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿」