田中神社|江戸時代に御嶽社として創建、田中村の鎮守
田中神社の概要
田中神社は、横浜市磯子区田中にある神社です。田中神社は、江戸時代に御嶽社として創建、田中村の鎮守社だったといいます。明治45年、田中鎮座の神明社と共に栗木神社に合祀されたものの、昭和22年当地に還座、田中神社と号したしたといいます。
社号 | 田中神社 |
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祭神 | 国常立尊、天照皇大神 |
相殿 | 豊受大神 |
境内社 | - |
住所 | 横浜市磯子区田中2-6-25 |
祭日 | 例大祭9月20日 |
備考 | - |
田中神社の由緒
田中神社は、江戸時代に御嶽社として創建、田中村の鎮守社だったといいます。明治45年、田中鎮座の神明社と共に栗木神社に合祀されたものの、昭和22年当地に還座、田中神社と号したしたといいます。
新編武蔵風土記稿による田中神社の由緒
(田中村)
神明社
除地、二畝歩、村の東にあり、社は七尺に八尺、村持。
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御嶽社
除地、二十歩、村野南にあり、社は九尺に二間、村の鎮守なり、これも村持。(新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による田中神社の由緒
創立年代は不詳。古来田中町の鎮守であった村社神明神社、無格社御嶽神社の両社は、明治四十五年五月十五日栗木町の村社日枝神社に合祀せられ、社名も上笹下神社と改められて、その後三十六年間他町民と共に合同の祭祀を続けて来た。昭和二十二年四月二十日、氏子の熱望により旧社地に再び社殿を奉建して、上笹下神社より御神霊を奉迎、盛大な還御祭を奉仕し、社名を田中神社と改めて、町民一同の篤い崇敬をあつめている。現社殿は昭和三十五年の造立になる。(神奈川県神社誌より)
境内石碑による田中神社の由緒
田中神社は江戸時代よりお御嶽社として開創され田中の鎮守であった。明治三十九年内務省通牒にて上笹下地区の無格社統合合併により神明社と共に六ヶ村の神社と合祀され、明治四十五年五月栗木に上笹下神社として遷座した。
第二次大戦後、それぞれの地区に氏神様を祀ることとなり、昭和二十二年四月二十日現在地に仮の御神殿を建て町名をとり田中神社とした。昭和三十五年御神殿を造営し国常立尊、他二柱を御祭神とし昭和二十八年九月十日登記を済ませ宗教法人となった。
例祭は毎年秋に執り行っていたが、造営した御神殿は昭和四十六年十二月七日火災により焼失した。その後、町内有志を始め関係者の努力により御神殿は再建されたが年月も経過し、また町の発展に伴い総鎮守として御神殿改善の気運が盛り上がり、平成十三年九月御神殿の増築と補修、御神域の整備を完成させ現在に至った。
平成十三年九月吉日(境内石碑より)
田中神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿