醫王山金剛院。横浜磯子七福神の大黒天、東国八十八ヵ所霊場
金剛院の概要
高野山真言宗寺院の金剛院は、醫王山と号します。金剛院の創建年代等は不詳ながら、長譽(元禄9年1696年寂)が中興したといいます。東国八十八ヵ所霊場64番、横浜磯子七福神の大黒天です。
山号 | 醫王山 |
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院号 | 金剛院 |
寺号 | - |
住所 | 横浜市磯子区岡村5-3-1 |
宗派 | 高野山真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 金剛保育園 |
金剛院の縁起
金剛院の創建年代等は不詳ながら、長譽(元禄9年1696年寂)が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による金剛院の縁起
(岡村)金剛院
境内、年貢地、古義眞言宗、石川寶生寺の末、瑠璃山と號す、開山長譽、元禄九年正月十五日化す、古老或は古刹にして、長譽は中興なりと云、本尊薬師置。 (新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による金剛院の縁起
金剛院
位置
金剛院は、瑠璃山と號し、磯子區岡村町仲久保千六十一番地にある。境内は百九十八坪。民有地。元町の增德院の末で、寺格は十八等である。
沿革
開山は元祿頃、長譽の創立と稱し、或は古刹にして長譽は中興なりとも云ふ。按ずるに寛永十年二月十五日議定の關東古儀眞言宗本末帳の石川寶生寺末の中に、當院の名を載せてあるのをみれば、後說に從ふべきものと思はれる。延享二年根岸領書上には醫王山金藏寺と載せ、風土記稿には瑠璃山と記してある。其間に山號を改め、寺號を廢したものか、明らかでない。往時は寶生寺の末寺に屬し、中通の格式を帶びて居たが、明治七年、市内增德院の末寺となつた。
本尊
本尊は藥師如來木造坐像、高七寸。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
金剛院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿 佛寺編」
参考資料
- 新編武蔵風土記稿