泉谷山龍珠院。北条氏繁の父綱成が開基
龍珠院の概要
曹洞宗寺院の龍珠院は、泉谷山と号します。龍珠院は、北条氏繁の父綱成が開基となり、大永2年(1522)に創建、養拙宗牧(天文4年1535年寂)が開山したといいます。
山号 | 泉谷山 |
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院号 | 龍珠院 |
寺号 | - |
住所 | 横浜市磯子区岡村2-16-19 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
龍珠院の縁起
龍珠院は、北条氏繁の父綱成が開基となり、大永2年(1522)に創建、養拙宗牧(天文4年1535年寂)が開山したといいます。
新編武蔵風土記稿による泉谷山龍珠院の縁起
(岡村)龍珠院
境内、年貢地、禅宗曹洞派、郡内町屋村傳心寺末、泉谷山と號す、本尊十一面観音を安す、本堂七間に五間、開山を養拙宗牧と號す、天文四年十月四日化す、開基は北條氏にて、大永二年造立すと云、常陸介氏繁が文書に據て考ふるに、其父上總介綱成が開基せしにや、氏繁及其子左衛門大夫氏勝が文書凡三通あり、常陸介氏繁は上總介綱成の子にして、母は北條氏綱の女なり、天正八年十月三日卒す、歳四十三、法名龍寶。
寺寶
古文書三通(文面省略) (新編武蔵風土記稿より)
「横浜市史稿 佛寺編」による龍珠院の縁起
龍珠院
位置及寺格
龍珠院は、泉谷山と號し、磯子區岡村町四百四番地にある。境内は四百四十一坪。久良岐郡金澤傳心寺の末寺で、三等法地四十四級である。
沿革
寺傳には、大永二年二月、北條氏繁の開基した所とあるが、新編武藏風土記稿には、「常陸介氏繁ガ文書ニ據テ考フルニ、其父上總介綱成ガ開基セシニヤ。」とある。開山は養拙宗牧といひ、天文四年十月四日に入寂した。元龜三年正月二十六日、氏繁は寺領安堵及び與樂庵末寺たるべきの證状を與へ、天正六年二月二十六日、重ねて安堵状を出し、天正十一年十二月二十四日、氏繁の子氏勝も亦、安堵状を附與した。
本尊
本尊は十一面觀世音菩薩坐像、高六寸一分、後背九寸五分、橫七寸一分、臺座九寸、廚子入りである。
堂宇
現今の堂宇は、本堂(桁行七間、梁間五間、四注造、草葺。)・庫裡(建坪三十八坪二合五勺、瓦葺。)である。元は境外に阿彌陀堂があつたが、明治の初年に廢絕した。(「横浜市史稿 佛寺編」より)
龍珠院の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「横浜市史稿 佛寺編」
参考資料
- 新編武蔵風土記稿