海照寺。横浜市磯子区坂下町にある高野山真言宗寺院

猫の足あとによる横浜市寺社案内

泉久山海照寺。東国八十八ヵ所霊場、横浜觀音三十三観世音霊場、横浜弘法大師二十一箇所

海照寺の概要

高野山真言宗寺院の海照寺は、泉久山と号します。海照寺の創建年代等は不詳ながら、寛永8年(1603)に尊珍が中興、明治維新までは根岸村の諸神社の別当を兼帯していたといいます。東国八十八ヵ所霊場51番、横浜觀音三十三観世音霊場25番、横浜弘法大師二十一箇所14番です。

海照寺
海照寺の概要
山号 泉久山
院号 -
寺号 海照寺
住所 横浜市磯子区坂下町4-19
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



海照寺の縁起

海照寺の創建年代等は不詳ながら、寛永8年(1603)に尊珍が中興、明治維新までは根岸村の諸神社の別当を兼帯していたといいます。

新編武蔵風土記稿による海照寺の縁起

(根岸村)海照寺
除地、一段二畝十八歩、是も村の北にあり、同宗同末(古義眞言宗、石川寶生寺末)、泉久山と號す、本堂六間に五間半、本尊地蔵の立像長四尺二寸、聖徳太子の作、寛永八年僧某中興すと云、是も開山の年代を傳へず。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による海照寺の縁起

海照寺
位置
海照寺は、泉久山と號し、磯子區根岸町字阪下六百六十四番地にある。境内は三百二十八坪。百五十八坪は官有地。百七十坪は民有地。高野山金剛峯寺の直末で、寺格は十一等、市内觀音三十三所の第二十五番の札所、同弘法大師二十一箇所の第十四番の靈場である。
沿革
開山・開基は詳ではない。寛永八年に、尊珍が中興した所と云ふ。寛永十年二月十五日議定の關東古義眞言宗本末帳に、寶生寺の末寺と載せてある。維新の頃までは村内、熊野三社・宇佐八幡・伊勢宮・稻荷明神・淺間宮の別當を兼ね、叉、地藏堂及び不動堂をも進退して居た。明治七年、元町の增德院に轉屬し、大正十五年六月二十九日に、大本山金剛峯寺の直末となつた。
本尊及及寶物
本尊は地藏菩薩の立像、高三尺二寸、臺座高一尺、傳に聖德太子作とある。側本尊は地藏菩薩坐像・同立像・十一面觀世音立像・不動明王坐像・弘法大師坐像である。什寶に半鐘一口があつて、嘉永二年四月、地頭小濱金之助棟隆等の寄進であると云ふ。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


海照寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿 佛寺編」

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿