密蔵院。横浜市磯子区滝頭にある高野山真言宗寺院

猫の足あとによる横浜市寺社案内

瀧頭山密蔵院。横浜磯子七福神の布袋尊、東国八十八ヵ所霊場、横浜觀音三十三観世音霊場

密蔵院の概要

高野山真言宗寺院の密蔵院は、瀧頭山明王寺と号します。密蔵院の創建年代等は不詳ながら、長慶(慶安5年年1652年寂)が中興開山したといいます。東国八十八ヵ所霊場50番、横浜觀音三十三観世音霊場24番、横浜磯子七福神の布袋尊です。

密蔵院
密蔵院の概要
山号 瀧頭山
院号 密蔵院
寺号 明王寺
住所 横浜市磯子区滝頭3-13-5
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



密蔵院の縁起

密蔵院の創建年代等は不詳ながら、長慶(慶安5年年1652年寂)が中興開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による密蔵院の縁起

(瀧頭村)密蔵院
年貢地、北の方にあり、古義眞言宗、石川寶生寺末、瀧頭山と號す、客殿六間半に六間、本尊不動を安置せり、開山開基詳ならず、中興開山長慶慶安五年四月十三日化す。 (新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による密蔵院の縁起

寶積寺
位置及寺格
密藏院は、瀧頭山明王寺と號し、磯子區瀧頭町上江百六十一番地にある。境内は五百十七坪。高野山金剛峯寺直末の十六等地で、市内觀音三十三所の第二十四番の靈場である。
沿革
開基年代は不明で、中興開山は長慶(慶安五年四月十三日寂。)と云はれてゐる。寛永十年二月十五日議定の關東古儀眞言宗本末帳に、寶生寺末として當院の名が見える。天保十二年十二月、境内は除地となつた。明治維新以前は、伊勢宮・稻荷大明神・三島大明神・氷川大明神・子權現・貴船大明神・若宮權現・山王權現・神明宮・辨財天・八幡宮等の別當を兼ね、又、毘沙門堂及び地藏堂を進退して居た。明治七年、元町增德院に轉屬し、大正十二年九月一日の大震災に、堂宇悉く倒潰したが、翌十三年七月十二日に、復興の工を遂げて入佛式を行ひ、大正十五年六月二十九日、高野山金剛峯寺の直末となつた。
本尊
本尊は不動明王の立像。
堂宇
現今の堂宇は、本堂(桁行六間、梁間七間、和洋折衷造、亞鉛葺。)・庫裡(桁行五間、梁間五間半、亞鉛葺。)・表門(九尺、亞鉛葺。)等である。
境内佛堂
境内佛堂、觀音堂は表門前の左側にあつて、六尺に四尺の亞鉛葺である。本尊は聖觀世音、石造の坐像 寛政三辛亥年、中秋吉祥日、施主三重郡知釋村願主悅誌。である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


密蔵院の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿 佛寺編」

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿