妙蓮寺。横浜市磯子区田中にある日蓮宗寺院

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常林山妙蓮寺。代官間宮彥次郎忠次の母の願いにより創建

妙蓮寺の概要

日蓮宗寺院の妙蓮寺は、常林山と号します。妙蓮寺は、代官間宮彥次郎忠次の母智性院法祐大姉(明暦2年1656年寂)の願いにより、元和元年(1615)に創建、杉田村妙法寺第十世日林聖人が開山したといいます。

妙蓮寺
妙蓮寺の概要
山号 常林山
院号 -
寺号 妙蓮寺
住所 横浜市磯子区田中1-21-1
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



妙蓮寺の縁起

妙蓮寺は、代官間宮彥次郎忠次の母智性院法祐大姉(明暦2年1656年寂)の願いにより、元和元年(1615)に創建、杉田村妙法寺第十世日林聖人が開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による妙蓮寺の縁起

(田中村)妙蓮寺
年貢地、高九尺二斗一升六合、東の山にあり、法華宗、總州中山法華經寺末、常林山と號す、本尊三寶祖師を安す、堂六間半に五間、開山日林聖人、承應二年三月二十四日寂す、元和元年の起立にて、開基は時の御代官間宮彦次郎忠次の母、法名智性院法祐大姉なり、明暦二年寂す、又本堂の内に木像あり、間宮左衛門尉像なりとも、或は同彦十郎なり共云傳ふ、按するに左衛門は數代近郷に住して著名なれば誤り傳ふるにや、彦十郎は全く誤にて開基智性院の子、彦次郎忠次かもしくは夫新左衛門直元の像なるべし、其圖右に載す。
什物涅槃像一幅。長二間餘巾七尺許、別巻の文中に寛永十二乙亥年八月本願主酒井因幡守殿、又實相院日林聖人代とあり。
三十番神堂。(新編武蔵風土記稿より)

「横浜市史稿 佛寺編」による妙蓮寺の縁起

妙蓮寺は、常林山と號し、磯子區田中町五百十七番地にある。境内は四百十六坪。中山法華經寺末で、寺格は平僧跡九等である。
沿革
寬永六年、風土記稿には元和元年とある。時の代官間宮彥次郞忠次の母智性院法祐日富の志願により、一字を建立し、杉田村妙法寺第十世日林聖人を請じて開山とした。
安永年間、災厄に罹つて燒失し、其後更に衰頽に歸したを、妙法寺第第二十九世深敬院日隨が歎いて、本寺に請ひ、當寺を兼務する事、天明四年より寛政十一年に至る十有五年、以て其の牧寶を積み、檀誠の信施を乞ひ、本堂・庫裡を建立した。第三十世安藤暹妙住して、明治二十二年四月、本堂の修覆、庫裡の再建、同三十年、梵鐘及び鐘樓等の建立あり、漸く舊觀を改め、寺門の興隆を見るに至つた。然るに大正十二年九月一日、震災に罹つて本堂の倒潰、庫裡の大破を見たが、同十三年、再建を遂げた。
本尊
本尊は三寶祖師である。
堂宇
現今の堂宇は、本堂桁行五間半、梁間三間半、亞沿葺、破風造、向拜附。大正十三年第三十世安藤暹妙再建。・庫裡桁行六間、梁間四間半、草葺。明治二十二年、第四十世安藤暹妙再建。・廊下桁行一間、梁間九間、亞沿葺。・鐘樓九尺四方、草葺。明治三十年、安藤暹妙代新建立。等である。(「横浜市史稿 佛寺編」より)


妙蓮寺の周辺図

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「横浜市史稿 佛寺編」

参考資料

  • 新編武蔵風土記稿