東神奈川神明宮|能満寺が創建した正安元年に創建、旧村社
東神奈川神明宮の概要
東神奈川神明宮は、横浜市神奈川区東神奈川にある神明宮です。東神奈川神明宮は、能満寺が創建された正安元年(1299)に創建したと伝えられます。明治18年に村社に列格していました。
社号 | 神明宮 |
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祭神 | 素盞嗚尊、大日孁尊 |
相殿 | - |
境内社 | 梅の森稲荷神社 |
住所 | 横浜市神奈川区東神奈川2-34-6 |
祭日 | 例大祭8月第四土・日曜日 |
備考 | 旧村社 |
東神奈川神明宮の由緒
東神奈川神明宮は、能満寺が創建された正安元年(1299)に創建したと伝えられます。明治18年に村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による東神奈川神明宮の由緒
(神奈川町西の町能満寺項)神明社
(能満寺)境内の南につづけり。社地5畝4歩を免除せらる9尺四方の社なり。正安元年の勧請なりと云。前に鳥居をたつ例祭年々9月なり。
稲荷社、これも境内の地につづけり。除地3畝10歩あり。わづかなる祠2ヶ所あり。皆巽の方へ向へり。年々9月の中祭れり。(新編武蔵風土記稿より)
「神奈川区史」による東神奈川神明宮の由緒
明治維新以前は能満寺の境内につづいてあったが、神仏混淆禁止によって、能満寺から分離した。
草創の時や由緒は不明であるが、『新編武蔵風土記稿』に「正安元年ノ勧請ナリ」とあって能満寺の創立と密接不離の関係から、時を同じゅうしていると思われるといわれている。往昔の口碑に上無川に牛頭天王の神躰が出現したので、里人は洲崎明神に合祀し、当社に、その分霊を勧請したと伝へられている。明治一八年七月村社に列せられ、大正一一年一一月一四日神饌幣帛料供進社に定められた。(「神奈川区史」より)
「神奈川県神社誌」による東神奈川神明宮の由緒
創立年代不詳であるが、古伝によれば、この地に上無川の流れあり、訛って神奈川となったといわれ、神奈川宿発祥の地と云う。開拓住民先ずこの地に伊勢神宮を奉斎し、神明宮を創建したと伝えられる。(「神奈川県神社誌」より)
「神奈川区宿歴史の道」掲示による東神奈川神明宮の由緒
神明宮の草創についてはいくつかの伝説があるが定かではない。
「新編武蔵風土記稿」は別当能満寺の草創と同じ正安元年(1299)の勧請としており、この神社と能満寺が草創当初より極めて密接な関係があったことを伺わせる。
かつて境内を流れていた上無川に牛頭天王の御神体が現われ、洲崎大神およびこの神社に牛頭天王を祀ったとの伝承もある。また、境内にある梅の森稲荷神社には、若い女旅人にまつわる哀れな話も伝わる。(「神奈川区宿歴史の道」掲示より)
東神奈川神明宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「神奈川区史」
- 「神奈川県神社誌」